なぜ不祥事企業は世間から糾弾されるのに被害企業は世間から同情されないのか

企業の不祥事は後を絶ちません。食品偽装、リコール隠し、情報漏えいなど、次から次へと発覚します。一方、企業が自然災害や犯罪などによって被害を受けることも次々と起こります。ハッカー攻撃による被害、地震災害や火事災害、海外での民衆の暴動による損害などがあります。


しかし、不思議なことに、企業の不祥事に対しては世間からの激しい怒りと厳しい糾弾がなされるのに対し、企業が被害を受けた場合に、世間からの同情や暖かい励ましを受けることが少ないのです。「○○社は許せない」という反応は多くあっても、「○○社はかわいそうだ」という反応は少ないのです。それは何故でしょうか。この点に関して、Rai & Diermeier (2015)は、これは「企業に心はあるのか」という問いにも関連していることを示唆します。もう少し正確にいえば、「企業が心をもっていると世間の人々が思っているのか」「そうだとすれば、企業はどんな心を持っていると世間の人々は思っているのか」という問いにつながっているというのです。


つまり、人間と同じように企業にも「心」があるならば、企業による不祥事は「心」を持った企業が「意図的に」おこなった行為だから、(その企業で働く誰か特定の人物ではなく)その企業そのものへの激しい怒りと糾弾が生じるし、企業がなんらかの被害を受けた場合には、企業が「心を痛めているに違いない」と思えるならば、企業に対する同情や励ましが起こるはずでしょう。しかし、前者は起こるのに後者は起こらないわけです。この非対称性を理解する鍵は、心の構成要素の理解にあるとRai & Diermeierは説明します。それはどういうことかというと、心といっても、それは「考える(思考)」と「感じる(感情)」の2つの異なる機能があるということです。


Rai & Diermeierによれば、人々が「企業は考える能力を持っている」と考えているならば、企業の不祥事に対する怒りや糾弾が生じるはずで、人々が「企業が感情という心を持っている」と考えているならば、被害にあった企業に対する同情や励ました生じるはずだと論じます。そして実際、「人々は、企業は考えることはできるが、企業は気持ちとして何かを感じる能力をもたないと考えている」ことの可能性を指摘するのです。この理由を説明するために、Rai & Diermeierは興味深い例を提示します。例えば、私たちは、人間が思考と感情の両方を持っていると信じています。それに対し、ペットなどの動物に対しては、(論理的に)考えることはあまりできないが、感情は持っていると考えがちです。そして、ロボットに対しては、考える力はあるが感情は持たないと信じることでしょう。会社や組織は、どちらかというとロボットの例に近いのではないかということです。


人々は、会社には考える力があると思っている。だから、企業が行った不祥事は、正しいことが考えられるにも関わらず、間違った非倫理的行為を行ったから生じたのだと解釈し、怒り、糾弾する。一方、人々は、会社には感情がないと思っている。だから、企業が被害を受けても、企業が痛がったり悲しんだりはしていないと思っているので、同情したり励まそういう気は起らない。この仮説を科学的に確かめるため、Rai & Diermeierは、4つの実験を行いました。実験のポイントは、まったく同じ不祥事や被害を「企業が主人公である場合」と「自営業者(個人)が主人公である場合」とで違いがあるかどうかを確かめたのです。


結果は、仮説を支持するものでした。メインの結果のみを意訳しながら簡単に紹介すると、人々は、主人公が不祥事を行った場合は、それが企業であろうが個人としての自営業者であろうが、同じように怒りを覚え、糾弾するような反応をしました。一方、主人公が被害を受けた場合には、個人としての自営業者に対しては同情や励ましのような反応が起こるのに対し、企業に対してはそのような反応が起こりにくかったのです。その理由として、人々は、不祥事については、企業であれ自営業者であれ、主人公が意図的にやったと認識しているのに対し、被害にあった状況については、自営業者はそれに対して痛みを感じていると思うのに対し、企業はそれに対して痛みは感じていないと思っていることが分かったのです。


ただし、主人公が企業ではなくスポーツチームのような場合については、被害を受けた場合に人々はなんらかの同情を抱くこともわかりました。ただし、それは個人に対する同情よりは強くありませんでした。よって、人々は、企業には痛みを感じるような感情はないが、スポーツチームには痛みを感じるような感情があると考えていることも示唆されたわけです。このことから、同じ人の集まりである組織でも、会社には感情はない(痛みを感じない)が、スポーツチームには多少の感情がある(痛みを感じる)と考えていることを意味します。


企業というのは、悪いことをすれば激しく糾弾されるのに、逆に悪いことをされても同情されない、損な役回りなのです。

参考文献

Rai, T. S., & Diermeier, D. (2015). Corporations are Cyborgs: Organizations elicit anger but not sympathy when they can think but cannot feel. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 126, 18-26.