ワーク・ライフ・バランスを議論する前に理解するべき「ワーク・ライフ・イデオロギー」

ワーク・ライフ・バランスは日本でもかなり前から議論がされてきました。しかし、ときどき議論がかみ合わなくなることがあります。例えば、そもそもワークとライフはバランスさせるものではない、というような意見が出てくる場合です。これはそもそも、ワークとライフに関する根本的な考え方が異なっていることに起因します。よって、ワーク・ライフ・バランスを実りのある形で議論するためには、その背後にあるイデオロギー(理念や価値観)を理解しておく必要があるのです。イデオロギーが異なれば議論が平行線をたどってしまうからです。Leslie, King, & Clair (2019)は、このような視点から「ワーク・ライフ・イデオロギー」の概念を提唱しました。


Leslieらが提唱するワーク・ライフ・イデオロギーとは、単に、ワークとライフの関係性についての個人の嗜好という意味ではありません。イデオロギーとは、この世界がどうなっているのか、何が真実なのかに関する信念です。よって、ワーク・ライフ・イデオロギーとは、「ワークとライフの関係性についての信念」と定義され、それが、ワークとライフの境界をどうしたいのかという個人の嗜好性にも影響を及ぼすと考えられます。そして、ワーク・ライフ・イデオロギーの多くは、その人々が暮らしている環境や文脈に長い間接している間に影響されて形成されると考えられます。では、ワーク・ライフ・イデオロギーの中身について見ていくことにしましょう。


Leslieらによれば、ワーク・ライフ・イデオロギーは、3の次元の組み合わせ構成されます。1つ目は、ワークとライフに必要な資源(パイ)の総和が固定されているか、拡張されるかという次元です。前者(固定)の場合は、私たちがワークとライフに割ける資源は限られているので、ワークを増やせばライフが減るというようなゼロサム構造になっているとする考え方です。後者(拡張)の場合は、ワークとライフがシナジー効果を起こすなどすれば、私たちが使える資源が増えるという考え方です。2つ目は、ワークとライフはきれいに分かれているのか、それとも相互に依存しているのかという次元です。前者の場合は、ワークとワークは独立しているのでお互いに影響を及ぼさないと考えるのに対し、後者は、ワークとライフは相互に依存しあっているので、ワークで生じた経験(感情、思考、行動など)がライフに影響を与えたり、その反対のケースがあると考えます。3つ目の次元は、ワークとライフでは、ワークが優先されるべきと考えるか、そうでない(ライフが優先もしくはワークとライフは同等)と考えるかという次元です。前者の場合、私たちにとって働くことが最も基本的な活動だという視点に立っており、後者の場合、仕事のみが人生ではないという考え方です。


ワーク・ライフ・イデオロギーは、以下の挙げるような、家族的、職場的、地域的、社会的な環境や文脈に影響されて形成され、先述のとおり、ワーク・ライフ・バランスに関する個人の嗜好性に影響を与えるとLeslieらは予測しました。まず、人々が資源が限られているような生活環境にいる場合に、ワークとライフに必要な資源の総和が固定されているという考えになりやすく、資源が豊富にある環境の場合には、ワークとライフのシナジー効果によってパイが増えると考えるようになりやすいと予測します。例えば、家族サイズが小さいか大きいか、雇用が安定、充実しているか、人口が密集している地域にいるかいないか、天然資源に恵まれた地域にいるかいないか、などがパイが固定化されているか拡張可能かに影響するというわけです。


次に、様々なことを境界を設けて分離することが多い環境で暮らしている人々は、ワークとライフはきれいに分かれて独立していると考えやすくなるのに対して、様々なことが連続的で境界があいまいな環境で暮らしている人々は、ワークとライフが相互に依存し、お互いに影響を与え合っていると考えやすくなるとLeslieらは予測します。例えば、離婚が多い社会で暮らしている場合かそうでないか、個人スペースがパーティションでくくられたオフィスで働く環境か、大部屋で一緒に働く環境か、人口的な建物で区切られた地域で暮らしているか自然と住居地が一体化したような地域で暮らしているか、旅行や移民受け入れに制限を設けるような社会にいるかいなかなどがワークとライフの境界線の明確さの度合いに影響するというわけです。


さらに、市場原理主義の環境にいる人々は、ワークが中心という発想でワーク・ライフ・バランスを考えやすくなるのに対し、非市場原理主義人間主義)の環境にいる人々は、ライフを重視するかたちでワーク・ライフ・バランスを考えやすくなるとLeslieらは予測します。例えば、核家族が多い環境か、親戚が周りに多い環境か、長時間労働を報いるような報酬形態の職場で働いているかそうでないか、子供が多く町内会が発達している地域で暮らしているかそうでないか、福祉を重視する社会で暮らしているかそうでないかが、ワークが中心かライフを重視するかの度合いに影響するというわけです。


さて、例えばヨーロッパでは、ワークとライフを明確に区分し、夏には長期休暇をとるなどの生活スタイルが多いのに対し、日本では、家庭に仕事を持ち込んだり有給休暇を消化しないことが問題になったりしていますが、これを、ワーク・ライフ・イデオロギーの概念を使って解釈するとどうなるでしょうか?ヨーロッパの地域は比較的豊かであるため、ワークもライフも両立できるという考え方の人が多く、また、物事を分離する傾向があるため、ワークとライフを分離して考える人が多いと思われます。また市場原理よりも福祉を充実する国が多いことから、ライフ中心の価値観が形成されたのだと思います。


一方、日本の方は、特に都市部においては住環境がそれほど充実していないので、ワークとライフのパイが固定していると考えがちだけれども、物事を分離せず境界が曖昧な環境なので家庭に仕事を持ち込んだり休日でも社内行事に参加したりする。そして戦後の高度成長に代表されるように長時間労働による経済のキャッチアップが国や企業で重視されてきたこともあって、特に男性はワークが中心のイデオロギーになりがちで女性は男性のそれに理解を示すようになったと考えられるのです。ただ、イデオロギーというものは固定しているわけではなく変わりうるので、日本においても若者や女性、新興企業などに対しては従来とは異なるワーク・ライフ・イデオロギーが浸透する(あるいはすでに浸透している)ことは十分に考えられるのでしょう。

参考文献

Leslie, L. M., King, E. B., & Clair, J. A. (2019). Work-life ideologies: The contextual basis and consequences of beliefs about work and life. Academy of Management Review, 44(1), 72-98.