シグナリング・ゲームとして理解する採用マーケットのダイナミズム

毎年、企業は優秀な人材を獲得するための採用活動に苦慮しています。同様に、求職者側もより良い企業に就職できるよう対策にいそしんでいます。採用学では、企業は科学的な手法を用いて優秀な人材を獲得できる採用手段を開発すべきであることを示唆します。そのような視点も大切ですが、そもそも、採用マーケットがどのようなメカニズムによって成り立っているのかという、採用マーケットの本質を理解することも大切です。とりわけ日本の企業の大半が依拠する新卒採用マーケットは、日本の労働市場が海外と切り離されているがゆえに独自の進化を遂げて現在に至っています。いったい、どのような要素によって現在の採用マーケットが形成されたのでしょうか。今回は、Bangerter, Roulin, & König (2012)によって示された、採用マーケットを「シグナリング・ゲーム」として捉える視点を紹介することで、その理解を深めたいと思います。


Bangerterらの理論を援用すると、採用マーケットは、マーケットの参加者すなわち採用企業と求職者が、自分にとって最も好ましい結果を得るために有力な情報である「シグナル」をめぐる駆け引きが行われる場として理解できます。ゆえに、採用マーケットを、シグナルをめぐって企業や求職者によって繰り広げられる「ゲーム」であると理解するのです。具体的には、以下のようになります。

  • 企業は優秀な人材を見分けるためのシグナルを探している。
  • 求職者は自分が優秀であることを示すシグナルを発したがる。
  • 企業は自社が優れた企業であることを示すシグナルを発したがる。
  • 求職者は優れた企業を見分けるためのシグナルを探している。


実際の採用マーケットを見ればわかりますが、これらのシグナルは自明ではありません。まず、十分な研究がなされていないために、何が優秀な人材の決定要因なのか、優れた企業の条件は何なのかなど、誰も分かっていないというケースがあります。また、それが分かっているとしても、参加者は自分にとって有利な情報のみを開示し、自分にとって不利な情報は隠したがります。よって、十分な情報がマーケットに流れないので、本当に役に立つシグナル自体も闇に包まれがちになるということです。例えば、求職者は、自分の能力が低いことを示す情報は隠したがりますし、企業側は自社の弱点となる情報は隠したがります。そうなると、優秀な人材と優秀でない人材を見分けるシグナルや、優良企業と非優良企業を見分けるシグナルが容易に取得できなくなってしまうのです。だから、企業側も求職者側も、自分にとって有利な相手のシグナルを探り当てる努力をするようになりますし、自分が相手にとって魅力的に映ると思われるシグナルを積極的に発信しようとするようになります。


さて、採用マーケットにおいて企業や求職者が駆け引きを行うと言いましたが、ここでいう駆け引きとは、有力なシグナルを探りあてたり、それを積極的に発信したり、あるいは偽ってそれを取得したりするプロセスを指します。そして、その駆け引きには、企業と求職者の駆け引きのみならず、企業同士の駆け引き、求職者同士の駆け引きもあります。では、具体的にどのような駆け引きによって採用マーケットが変化していくのか見てみることにしましょう。ここでは、企業側が優秀な人材を見分けるためのシグナルに着目してみます。もちろん、求職者が優良企業を見分けるためのシグナルについても、今回は省略しますが類似のメカニズムが成り立ちます。

  • まず、企業が優秀な人材を見分けるためのシグナルとして、筆記試験の成績に注目するとします。当面は、そのシグナルは有効に働くことでしょう。つまり、筆記試験の成績によって企業は優秀な人材を獲得できることでしょう。しかし、筆記試験結果をシグナルとして注目していることを探り当てた求職者側は、筆記試験でよい成績を上げるための対策を練ることになります。そうすると、応募者のほとんどが筆記試験で高得点を取ることに成功してしまうため、企業側は筆記試験の成績で優秀な人材を見分ける事ができなくなってしまいます。
  • 筆記試験で優秀な人材を見分けられないとなると、企業は筆記試験をそのまま行いつつ面接試験の質問を工夫し、それに対する対応を新たなシグナルとして利用するようになるとしましょう。当面は、そのシグナルは有効に働くでしょう。しかし、面接試験の受け答えをシグナルとして注目していることを探り当てた求職者側は、適切な面接の受け答えをするための対策を練ることにつながるでしょう。そうすると、応募者のほとんどが面接試験で模範的な受け答えをするようになってしまうので、企業側は面接試験で優秀な人材を見分けることができなくなってしまいます。


上記は、主に企業と求職者との駆け引きに焦点が当たっていますが、以下のように、求職者同士の駆け引きがこのシグナリング・ゲームに与える影響も存在します。

  • 先の続きによって、新卒採用においては、筆記試験や面接が優秀な人材を見分けるための手がかりとしては有効に機能しなくなってしまったとしましょう。そこで、まだインターンシップが普及していない時代にインターンシップを行った意欲の高い学生が、他の求職者との差別化を図るために、それを応募や面接時のアピールポイントとして活用するとしましょう。企業側は、そのような学生が実際に優秀であることに気づくならば、インターンシップ経験を優秀な人材を見分けるシグナルとして使いだすことになります。
  • そうすると、企業がインターンシップ経験を採用基準に用いているらしいということを察知した求職者は、自分もライバルに負けじとばかりインターンシップを経験し、それを面接などでアピールするようになるでしょう。それが繰り返されると、しだいにインターンシップを経験することが内定を取るうえで有利であるという説が定着するようになります。そうなると、ほとんどの学生が就職活動に必須の条件としてインターンシップを経験しようとするようになるでしょう。結果として、インターシップ経験そのものは、優秀な人材を見分けるシグナルとしては機能しなくなってしまうのです。


このように、採用マーケットにおいて、企業や求職者がどのシグナルを積極的に使用するようになるのかは、プレイヤー同士の駆け引き、横並び的な真似のしあい、シグナルの無効化、新たなシグナルの特定、といったことが繰り返されダイナミックに変化していきます。その結果、どのような現象が起こるのでしょうか。それについては、以下のような予想が成り立ちます。

  • 他の求職者が簡単に取得できないシグナル、簡単に真似することのできないシグナル、すなわち求職者側からみて対策が立てにくいシグナルは、企業側から見ても信用できるシグナルとして安定的に利用されるようになるでしょう。一方、簡単に取得できたり真似しやすいシグナルは、最初は有効に機能したとしても、そのうちシグナルとしての有効性を喪失して信用されなくなるため、別の新たなシグナルが模索されるようになるでしょう。
  • 結果的に、簡単に取得できないシグナルである「学歴」や「会計士などの資格」は、信用できるシグナルであると考えられるため、安定的に採用基準などに用いられるようになります。企業が求める優秀かつ勤勉な学生は、比較的低コスト(ガリ勉をぜず)高学歴を手に入れたり資格を取得したりすることができ、それをアピールポイントとして用いることが可能となります。企業側もそのようなシグナルは優秀な人材を見分けるのに役立つと考えているので、それを採用選考の基準として用いるようになります。つまり、企業側も求職者側も、採用マーケットにおいてそれらのシグナルを信用できるものとして交換しあうようになります。
  • 一方、筆記試験、面接試験、インターンシップ経験などは、企業がユニークな方法を思いつき、それを優秀な人材を見分けるシグナルとして採用基準に組み入れ、当面はそれが優秀な人材を見分けることに役立つとしても、いずれは多くの求職者が対策を立てるようになるため、その効果は持続せず、シグナルとしての有効性が喪失されていくことでしょう。よって、企業は、その採用基準を廃止し、また新たな採用手段や面接の質問などを考案して取り入れていくことが繰り返される「イタチごっこ」の様相を示すようになります。


これまでのようなダイナミックなプロセスによって時代とともに採用マーケットが変化していくので、企業によって実際に用いられている採用基準は、学歴のように長期安定的に用いられる採用基準と、ユニーク採用とかイノベーティブ採用と言われるように、イタチごっこで次から次へと考案される新たな採用基準のコンビネーションになっているものと思われるのです。また、いったんは有力シグナルとしての有効性を喪失しても、足切りの材料程度には使えるかもしれないので残しておこうとする場合もあります。その結果として、エントリーシートや筆記試験、グループ面接、アルバイト経験、インターンシップ経験など、数多くの要素が、採用時に求められる情報として維持されているのだと考えられます。

文献

Bangerter, A., Roulin, N., & König, C. J. (2012). Personnel selection as a signaling game. Journal of Applied Psychology, 97(4), 719-737.