日本企業の競争力を支えた戦後日本型循環モデルの成功と劣化

第二次世界大戦後の日本は、戦後復興と高度経済成長という奇跡を謳歌し、その経済成長を支え、高品質な製品で世界の市場も席巻した日本企業の競争力、とりわけ雇用や人的資源管理のあり方は世界からの称賛の眼差しで迎え入れられました。これは、日本全体における若者の教育から就職、そして企業における雇用慣行や人的資源管理といった様々な施策が1つの大きなシステムとして極めて効果的に機能していたことに起因します。 しかし、とりわけバブル崩壊以降、平成30年間の経済低迷期においては、その劣化と機能不全が明らかとなり、現在にいたってもいまだに根本的な問題解決に至っていないのが現状だと言えましょう。

 

日本企業のかつての競争力の源泉が「日本的経営」や「日本的人事管理」といった言葉で語られ分析される際には、企業経営というレベルでみた雇用や人事の仕組みに焦点が当たることが多いかもしれません。しかし、上述のとおり、日本企業の競争力の源泉を真に理解するためには、日本という国家全体において効果的に機能していたシステム全体を独特な社会モデルとして理解することが必要不可欠でしょう。とりわけ、かつては現在ほど様々な分野でのグローバル化が進んでおらず、企業の生産活動の多くが日本国内で行われることでメイド・イン・ジャパン製品を生み出し、かつ雇用面においても国際化が進んでいなかったために、企業活動を支える労働力が日本で育ち日本の教育を受けた人々によって占められていたということも考慮する必要があるでしょう。

 

本田(2019)は、このような独特な日本全体のシステムを「戦後日本型循環モデル」という形で整理し、その成功と劣化、破綻を、政策や社会問題の視点からとらえています。本田によれば、戦後日本型循環モデルは、1960年代を中心とする高度経済成長期に形成され、石油危機後の1970~1980年代の安定成長期に普及と深化を遂げたシステムです。今回は、この戦後日本型循環モデルのポイントを、政策や社会問題的視点には深く立ち入らず、あくまで日本企業が有していた競争力の源泉という視点からとらえてみることにします。

 

戦後日本型循環モデルのもとでは、主に男性が企業の長期雇用と年功賃金により家計を支え、家族は次世代である子供の教育に多額の費用と意欲を注ぎ、教育を修了した子どもは新規学卒一括採用により間断なく企業に包摂されるという循環構造が成立していました。この循環構造によって、人々の生活保障がほぼ全面的に企業の安定雇用と年功的な賃金によって支えられていたため、政府は産業政策によって企業の雇用を維持しておけば、教育および家族への政府支出を極めて低く抑制することが可能だったと本田は指摘しています。

 

この戦後日本型循環システムの重要な構成要素の1つが、新卒学卒一括採用という世界でも特異な「学校から仕事への移行」の慣行です。高校や大学の卒業よりもずっと前に就職活動をして内定を獲得し、卒業後に間隙なく従業員として企業の雇用に包摂されていくこの慣行は、石油危機後に他国で若年失業率が急上昇した際にも失業率を極めて低い水準に保つことを可能にし、有効性の高い慣行として注目を浴びたと本田は解説します。

 

そして、戦後日本型循環モデルに基づく企業の人的資源管理を側面から補強してきたのが非正規雇用です。本田によれば、戦後日本型循環モデルのもとでは、主に男性からなる正規労働者は企業の構成員として包摂され安定雇用と年功的に上昇していく賃金を得る代わりに無限定な貢献の要請を受け入れるという関係にあったわけですが、非正規労働者は主婦や学生など補助的・一時的な収入を目的とする層を対象としており、そのため、短期雇用と低水準の賃金が当然視されていました。これにより、日本の企業は正規労働者のみならず非正規労働者を活用することで、過剰な費用負担を抑えながら経営を維持することができたともいえましょう。

 

しかし、バブル景気の崩壊後は、経済の低迷とバブル期の新卒過剰採用、中高年齢層に達した団塊世代の人件費負担、後発諸国の経済的台頭などの複数の要因によって新規学卒者を正社員として採用する余力が著しく低下したため、正規雇用に参入できない若者を増加させ、「就職氷河期」「ロスト・ジェネレーション」「ニート」などを生み出しました。家計維持者でありながら正規雇用に従事する者が増加したにもかかわらず、正規雇用と非正規雇用との強固な分断線は維持され続けている一方で、正規労働者間でも、長時間労働や低賃金、ハラスメントなどの労働条件の悪化が進んでいると本田は指摘します。

 

参考文献

本田由紀 2019「若者の困難・教育の陥穽」in 吉見俊哉(編)2019「平成史講義」(ちくま新書)