スピードが求められる時代でも「先延ばし」が有効な理由(わけ)

変化の激しい現代のビジネス社会はスピードが求められる時代です。ビジネスや仕事でぐずぐず、もたもたすること、先延ばしすることは、ライバルに先を越されるわ、仕事の能率は下がるわで、百害あって一利なしと考える人が多いのかもしれません。みなさんも、仕事でつい先延ばしをしてまうと、なんて自分は怠惰な奴なのだと自戒の念に囚われるかもしれません。しかし、これに異を唱えるのが、Shin & Grant (2020)の先延ばしに関する研究です。結論を先に言ってしまうと、適度な先延ばしはクリエイティビティ(創造性)を高めるため、むしろクリエイティビティが重要な現代のビジネスでは、適度な先延ばしがもたらす効用が、スピードと効率を重視する方法よりも勝っている可能性すらあることを示すのです。


Shin & Grantの研究は、こちらのブログの「TEDで学ぶ組織行動論(13)」でも紹介済みのとおり、すでに2016年にAdam GrantがTED Talkでその初期の発見事項を雄弁に語っています。彼らの発見を要約すると、先延ばしとクリエイティビティとの間には、上に凸の曲線の関係にある。つまり、適度な先延ばしをしたときがいちばんクリエイティビティが高まるということです。先行研究では、先延ばしが仕事の効率を下げることは実証されているので、「過度な先延ばし」が百害あって一利なしというのは確かなようです。しかし、「先延ばしを否定したスピードの最重視」と「多少のスピードは犠牲にした適度な先延ばし」を比べた場合、クリエイティビティが必要な業務やビジネスでは、後者のほうが勝っている可能性が高まる結果となっています。


大切なのは、上記の発見が科学的エビデンスとして耐えうるものなのか、すなわち、それが本当に正しいのかということです。さすがに経営学のトップジャーナルに掲載された論文だけあって、Shin & Grantの研究はこの点についても注意深く検証されています。まず、彼らは、なぜ適度な先延ばしがクリエイティビティにプラスの効果をもたらすのかのメカニズムについてしっかりと議論をし、かつその仮説が適切であることを実証研究を用いて確かめています。また、彼らは、韓国と米国という異なる文脈で実証研究を行って同様の結果を得ており、彼らの発見が国境を越えて成り立つ可能性を示唆しています。さらに、実験的研究とフィールド調査を組み合わせることによって、彼らが理論化した因果関係を実験でしっかりと確認し、実際のビジネス場面で成り立つのかをフィールド調査で確認しています。もちろんすべての研究がそうであるように彼らの研究が完ぺきとは言えませんが、それでも最善を尽くした方法で彼らの仮説が適切であることを示しているのです。


では、彼らのロジックを追いかけてみることにしましょう。彼らの理論の中核となるのが「インキュベーション(孵化作用)」です。クリエイティビティに必要なのは、いろんな知識を脳にインプットし、ごっちゃにして熟成させることです。そこから意外な知識の組み合わせが生まれ、それがクリエイティビティに繋がるのです。仕事を離れてリラックスしていたり違うことをしていても、無意識のうちに、脳の中ではインプットされた知識を熟成するプロセスが行われていると考えられます。もちろん、それを可能にするためには、新しいものを生み出したいといった情熱や、新しいものを生み出すのが楽しいといった「内発的動機付け」があることが必要です。たんに時間をつぶしているから熟成するというわけではありません。クリエイティビティに対する情熱や内発的動機付けが、身体や脳を、無意識のうちにインキュベーション・モードに向かわせているわけです。ここでお分かりのように、インキュベーションには「時間」がかかります。


先延ばしをしないスピード重視の仕事をする場合、物事をすぐに片づけてしまことによって上記に挙げたインキュベーションの時間をとらないので、適度な先延ばしに比べるとクリエイティビティは高まりません。一方、過度な先延ばしになってくると、別の理由でクリエイティビティが発揮できません。それは、締め切りが近づくことによる精神的プレッシャーが増大することや、安易な方法でもよいのでとにかく仕事を片付けてしまうことに注意が向いてしまうためです。工夫を凝らそうとかクリエイティビティを発揮しようというよりは、早く仕事を終わらせないと後がないという状態に陥るので精神も委縮してしまい、適度な先延ばしと比べればクリエイティビティが発揮できないと考えられるのです。適度な先延ばしのときは、まだ終盤のプレッシャーがない状態なので、インキュベーションの時間も確保でき、身体や脳も活性化され、一番クリエイティビティを発揮しやすいというわけです。


そして、先述したように、単に時間があればインキュベーションが進むというわけではなく、クリエイティブでありたい、クリエイティビティを発揮することが楽しい、クリエイティビティが要求される、といったように、クリエイティビティに対する欲望が無意識状態でも脳のどこかで活性化している状態であることが必要です。このことから、Shin & Grantは、適度な先延ばしがクリエイティビティを高めるという、先延ばしとクリエイティビティの上に凸の曲線性は、内発的動機付けが高いほど、そして仕事場面でクリエイティビティの要求度が高いほど顕著であるとの仮説を立て、実証研究によってその妥当性を示しました。


モノづくりを中心とする工業化の時代では、決められたことをきちんとする、早く仕事を片付けるということが最重要だったかもしれませんが、ポスト工業化時代では、新しいものを生み出すことが即座にビジネスの成功や業績の向上に直結することが頻発します。先延ばしをしてしまい、グズグズすること、もたもたすることで作業能率が下がってしまっても、革新的な商品やサービスを投入することでいとも簡単に逆転してしまうことさえあるわけです。もちろん、常にそうなるわけではなく、クリエイティビティは確率の問題だといえます。Shin & Grantは、そのようなことが起こる可能性をロジックと科学的エビデンスで示したのだと言えましょう。

参考文献

Shin, J., & Grant, A. M. (2020). When Putting Work Off Pays Off: The Curvilinear Relationship Between Procrastination and Creativity. Academy of Management Journal.