報酬・昇進・評価の人事経済学2ー成果主義報酬設計の基本原則

前回の報酬・昇進・評価の人事経済学1では、企業の人材も損得勘定のみで行動することを前提に、企業が従業員から努力を引き出すためのインセンティブ設計の基本について解説しました。今回は、ラジアー&ギブス(2017)を参考に、成果主義報酬やストックオプションなど、成果に連動した報酬設計のポイントを、前回の基本的なメカニズムに沿った形で解説したいと思います。ただし、議論を単純化して分かりやすくするため、前回扱ったような、評価制度の問題などによって、追加努力と追加の利益を結びつけることが難しい点は捨象して、あくまで追加努力と追加利益が完全にリンクしているような状態を想定します。


まず、前回のポイントをおさらいしますと、従業員は、追加的な努力によって得られる追加的な利益(メリット)が、追加的な努力によって生じる追加的なコスト(負担)を上回る限りにおいて、努力を増やし続けるという点が基本的な行動原理でした。そうなると、企業からみた成果主義報酬の設計の論点は、従業員が追加した努力に対して、どれだけの報酬を支払うのか、別の言い方をすれば、従業員が1単位追加的に生み出したアウトプット(製品など)に対する歩合をどれくらいにするかということです。企業利益を考慮するならば、これは、企業から見て、1単位追加的にアウトプットが生み出されることにともなう追加的利益(追加的に生み出される収益ー追加的に生じるコスト=限界利益)を、どう企業と従業員とで分配するかという問題に帰着します。


ここで、限界利益に対する歩合率0%を、従業員の追加努力に対して全く追加報酬がないケースとし、限界利益に対する歩合率100%は、企業が損をしない限りにおいて、従業員に還元できる最大の追加報酬を意味することにしましょう。成果主義報酬はこの中のどこかに落ち着くはずですが、どこが最適値になるのでしょうか。論点としては、歩合率0%のときは従業員はいっさい追加的な努力を行わない(1単位も余分にアウトプットを生み出さない)のに対し、歩合率を上げていくことで、追加的な努力をする度合いが高まってくるということです。歩合率10%のときよりも歩合率20%のときのほうが、追加的な努力によって得られる追加的な利益(メリット)が、追加的な努力によって生じる追加的なコスト(負担)を下回るようになる点が遅くなるので、従業員はより長く努力を追加し続けます。そう考えると、歩合率100%のときが、企業が損をしない範囲で従業員の努力が最大限になることが分かります。


上記のことから、歩合率100%のときに従業員の努力が最大値となり、従業員の利益が最大化します。従業員にとってみればハッピーです。しかし、企業にとってみると、損も得もしない状態です。なぜならば、従業員の努力によって追加的に生み出されるアウトプットの限界利益をすべて従業員への報酬として還元してしまうからです。これでは企業にとってまったく意味がないじゃないかと思われるかもしれません。この問題に答えるための鍵は、成果主義報酬を、Y=a + bX というように、Yを報酬としたときの切片aとXを努力としたときの傾きbとに分けて考えることです。これまでの成果主義報酬の議論は、もっぱら、努力に対する歩合というように、bに焦点を当てたものでした。結論を先にいうならば、企業の利益の源泉は、aの切片の部分にあるのです。


どういうことかというと、従業員の努力と利益を最大化するために歩合を100%にすることは適切であって、企業は利益を得るために、aの切片の部分をマイナスにする。すなわち、起点の部分については、逆に従業員から支払ってもらうような形にするのです。この従業員からの支払いが企業の利益になります。仕事をして報酬をもらうべき従業員が逆に企業に支払うのはおかしいと思うかもしれませんが、これは、企業が料金をもらって仕事の機会を与える、あるいは収入の機会を貸すとか先に売却することで料金を回収するのと同じです。企業は駐車場の土地を持っているオーナーのような存在で、駐車場のオーナーは、コインパーキングのような駐車場運営業者に、地代として一定の固定の支払いを受け、あとはコインパーキングの業者が、料金体系とか宣伝とかをいろいろ工夫して自社の利益が最大化するように努力すればよいということです。話をもとに戻すならば、いくら従業員からみて初期値で企業に支払うような形になっても、つまり、マイナス報酬からスタートしたとしても、そこから努力を積み重ねてアウトプットを増やしていけばいとも簡単にそのマイナスは取り戻せて、結果的に利益が最大化するようになるのです。


となると、企業としては、従業員から支払ってもらう切片のaの部分をいくらに設定すればよいかというのが利益を最大化する際のポイントになりますが、これも人事経済学の基本原則に立ち返れば答えがすぐに出ます。それは、従業員がその会社にとどまって努力することが一番得になるように決めるということです。つまり、従業員の最終利益は、努力を最大化して得られる収入から最初に支払う料金を差し引いた値になりますが、その値が、もし他社で仕事をしたりしたときに得られる最終利益を上回っていればよいのです。


ただし、これまでの説明は、追加コストがすべて追加収入に直結する場合を想定しておりますので、報酬・昇進・評価の人事経済学1でも議論したとおり、従業員から見て、追加コストが、主観的な評価による誤差などで追加収入に結び付かない可能性がある場合には、それをリスクとして考慮しないといけないことには注意が必要です。この場合、企業は、リスクに相当する分を従業員に支払う必要がありますので、歩合を100%にしてしまうと、リスクの負担分だけ会社が持ち出しになってしまいます。よって、会社が成果報酬の部分で損をしない(上記で見てきた場合のように損得ゼロにする)ためには、歩合率はリスクの大きさに応じて、100%未満のどこかで落ち着くことになるでしょう。


成果主義報酬には、金銭のみならず自社株を用いる方法もあります。その代表例が一定の価格で株式を購入する権利を付与するストックオプションで、とりわけ経営陣にとっては、自分たちが企業の株価を高める努力をすることで収入も増加する関係が成立する場合には、企業の所有者であって株価を高めたい株主と、株主から依頼されて経営を行う経営陣とのエージェンシー問題を解消する手段となりえます。この場合、経営陣の追加的な努力が、どれだけの株価の上昇をもたらすか、そして株価の上昇がどれくらいの報酬増につながるかが、経営陣の努力の総量を決定します。ストックオプションの面白いところは、レバレッジを利かせることでインセンティブ効果を高め、経営陣の努力を増加させることが可能な点です。例えば、100万円分のストックオプションを与える場合、1万円の価値のストックオプションを100株分と、千円の価値のストックオプションを1000株分を与えるのでは、時価は同じでもインセンティブ効果が大きく異なります。追加努力に伴う報酬増(例えば1株あたり千円の株価上昇による利益)が、後者は前者の10倍になるのです。