ネズミ講的組織論

企業は規模的に成長しているときに最も組織が活性化すると考えられます。その後、十分に大きくなって大企業化してくると、いわゆる大企業病となって活気が停滞してくるでしょう。そして、活力を失った企業はやがて衰退していきます。このようなプロセスにはさまざま面から説明できますが、ここでは「ネズミ講」の考え方を利用して説明してみることにします。


ここでポイントとなる前提は、組織というのは少なからず「ネズミ講」的な要素を持っているということです。もちろん、組織のシステムがネズミ講そのものではありません。ネズミ講(無限連鎖講)は、下位のメンバーから金品を受け取ってそれを上位メンバーで分配する仕組みで、次々と下位階層のメンバーが増えることにより、もっとも上位にいるメンバーから大きなメリットが得られる仕組みです。法律的には禁止されている違法なシステムです。


企業の場合、スタートアップ時は何から何まで操業メンバーが自分たちでやらねばなりません。しかし、事業が軌道にのり、組織が成長してくると、日々のオペレーションを支える定型業務などについてはどんどん若手従業員を雇ってやってもらうことによって、創業メンバーはそれを管理する役割となっていくことでしょう。ここで、事業が、下位の従業員が働けば働くほど売れる、儲かるものと仮定し、それゆえに管理職の仕事が下位の従業員の働きに比べて楽であるとするならば、管理職はネズミ講における上位メンバーのごとく、下位の従業員が稼いだ利益を分配して儲けを得ることができると考えられます。


事業が成長を続ければ、拡大する事業のオペレーションを担う若手従業員を次々と雇い入れていくことによって、組織規模を拡大させていくことでしょう。このように、企業が成長段階にあるときの下位従業員は、企業が成長を続けると、さらに自分たちの下位に大量に若手従業員が雇われることとなり、自分自身の下にもどんどんと階層ができてくることになります。よって、ネズミ講的な階層で解釈するならば、企業規模が拡大するにつれてどんどんと階層上の上位に繰り上がっていくので、下位の従業員が働いた利益の再配分のメリットを享受することができます。しかも、下位従業員の人数が、自分の属する階層のメンバーおよび上位のメンバーよりも多ければ多いほど得られるメリットも大きくなりますので、余計に組織規模の拡大に動くことになります。


このように考えると、企業が成長し、組織規模を拡大していく過程では、創業メンバーが最もメリットを享受でき、中位、下位に位置するメンバーも、会社が成長を続け、新たに下位の階層ができる限りにおいて、メリットを得ることができると考えられるわけです。つまり、メリットの規模に相違はあれど、会社が成長を続ける限り、従業員全員が下位の従業員の働きで得られる利益の再配分といったメリットを得られる仕組みになっているわけです。しかし、会社の成長がストップしてしまうならば、新たに下位の従業員を雇うこともできず、ネズミ講的なプロセスもストップしてしまいます。そのときに、一番割を食うのが、最後に入った下位メンバーで、自分の下に下位メンバーが続かないので何のメリットも得られないことになります。


これまで見てきたように、企業に少なからずネズミ講的な要素が含まれていると考えるならば、企業の規模を変えずに組織の活力を維持するのは難しいと考えられます。必ず、企業にとどまることによるメリットが得られない下位の従業員からモチベーション・ダウンが始まるからです。そうしてますます生産性が下がるならば、それに影響を受け、利益を得られなくなった上位の従業員も同じくモチベーション・ダウンしていきます。かくして、あらたな成長の機会を見出せない限り、企業の衰退がはじまると考えられるわけです。もっとも、上位メンバーが次々とリタイアして新陳代謝が促され、適切なピラミッド構造が保たれるならば、規模は不変でも常に上位に繰り上がった従業員が下位従業員から得られる利益を享受しつづけることができるのですが、通常は組織の新陳代謝のスピードは遅いため、組織規模が成長しない限り、ネズミ講的なシステムは維持できないと考えられます。


もちろん、これまでの議論には多くの前提があります。例えば、管理職は相対的に楽で、いわゆる末端あるいは「現場」の従業員が働いて得られた利益を享受できるという前提です。これは、企業に戦略が必要なく、現場の社員が当たり前の仕事をちゃんとこなすことによって売り上げや利益が自動的に伸びていくような業界や会社にあてはまります。昔は、若いうちは安月給なうえに仕事がキツいが、そこで馬車馬のように働けば、後に管理職になってからは楽ができるといわれていた業界や企業もありました。管理職は経営陣はおかざりで、実質的には末端の若手社員が企業利益のほとんどをたたき出しているという会社もあったことでしょう。こういった組織こそが、ここで論じたよりネズミ講的な性質を持っていると考えられるわけです。