[IHRM人間を信用しないアメリカ、人間を信用しすぎる日本

組織マネジメントや社会経済システム全般に関して日米を比較してみると、人間を信用しないアメリカ、人間を信用しすぎる日本という対比が見えてきます。このことについて少し説明してみます。


まず、アメリカの企業経営システム、コーポレートガバナンス企業統治)システム、さらには広範な政治・経済システムは、人間の良心や正しさを信じず、基本的に人間は性悪であり間違いばかり犯すという前提においたシステムを作って全体を動かしているように見えます。企業のマネジメントについていうならば、できるだけ業務システムや職務単位を標準化し、ある最低水準の要求を満たせば誰でも仕事ができるように作られています。そのため、例えば人事マネージャーという職業の人であれば容易に転職というかたちで企業間を移動して仕事を続けることができます。これは、企業が機械的なシステムとして設計されており、人間はその部品としてそれぞれのポジションの役割をしっかりと果たすことさえできれば企業経営ができることを示しています。


これは、人種的にも価値観としても多様なアメリカという背景が関連していると思われます。つまり、そもそもいろんな人が混ざっているため、能力的にも性格的にもバラバラである、だから国や組織を動かしていくさいに一人ひとりの人間の判断や裁量に頼っていると大変なことになる、というわけです。なので、リスク管理にしても、人間の判断を信用せず、常に最悪の事態を想定して設計されています。当事者である人間が行う判断や報告は自己保身のために楽観的になりがちだろうという危険性をシステムに織り込んでいます。東日本大震災に伴う福島第一原発の事故においてもいち早く日本より広範囲の批判勧告を発令しているところにもそれが伺えます。アメリカのコーポレートガバナンス企業統治)にしても、雇われ経営者は基本的に株主の利益を無視して私腹を肥やそうとする存在であるという前提に立ち、チェック機能の厳しいシステム設計になっています。


国民の多様性のみならず、アメリカが自由主義と資本主義を強力に推進してきた国であるというのも関連していると言えましょう。自由主義と資本主義の理論では、人間は自由に活動し自己利益を追求する(よって場合によっては機会主義のように他者の利益を全く考えない、逆に他者の利益を阻害する行動もありうる)という前提を置いています。市場原理主義は、そんな人間行動を前提としても社会全体が豊かになることを示す理論枠組みともいえます。こういったシステムでは、人間が自己利益のみを追求して自由に振舞うという前提に立った外的報酬(インセンティブ)が重要な役割を果たします。端的にいえば、人間はお金を目当てに行動するのだからお金で行動をコントロールすればよいというような考え方です。よって、人間の自主性や良心を信用せず、金銭などの外的報酬で従業員の行動をコントロールしようとするような社会や経営の仕組みになっていると考えられるわけです。


これらのアメリカの特徴の裏返しが日本の社会システムや経営のあり方だと考えられます。つまり、日本は人間を信用しすぎている可能性が指摘できます。例えば、日本には不文律や暗黙のルールが多く、システムで物事を動かすマインドが弱いと思われます。企業経営にしても、仕事やシステムが標準化されルールが明文化されていないために、人々は「空気を読んで」仕事をしないといけません。また、企業の管理職も、企業全体の文脈や様子を理解していないとうまく仕事ができないため、例えば、ある企業の人事部長が、別の企業の人事部長として転職してもすぐに仕事をこなすことができません。仕事のやり方も、現場の人々を信用しており、現場にいる従業員が自主性を発揮し、知恵を振り絞って状況を改善してくれるだろうという前提に立った権限委譲型のマネジメントをしてきました。それゆえ、日本の企業では現場が強いという評判につながってきたのだといえましょう。賃金にしても、実力や成果に応じて報酬を決めるといった外的報酬による人間行動のコントロールを志向せず、年功序列のもとで安定性を保証したうえで、外的報酬に頼らず人間の自主性や両親を信じた経営をしてきたと言えましょう。


これは、アメリカと違い、同質的な日本国民の特徴が反映されていると言えましょう。同質的であるがゆえに、以心伝心が行いやすく、「言わなくてもわかるだろう」という風土が形成されます。他人と同じであることを良しとし「出る杭は打つ」という教育や社会方針が基本となってきたため、同質的な人々が自然とまとまり、助け合い、同質的な行動をとるため、行動予測もしやすいと言えます。それが、人間が性悪であるという前提にたったシステムやルールに頼ることなく、お互いが相手を信用して行動する社会の発展につながったのだと考えられます。また、日本は必ずしも市場原理主義や自由を声高に標榜してきたとは言えないでしょう。戦後の高度成長は傾斜生産方式や護送船団方式など官主導の経済政策が功を奏してきたといえましょうし、格差の広がる自由競争よりもある程度自由を制限することによる社会的平等を重んじる社会であったと考えられます。こうした特徴が、自由で自己利益の追求といった人間的前提ではなく、自分よりも集団の利益を尊重し、お互いを思いやり、組織や共同体として一丸となって繁栄を目指そうという、チームワーク重視の経営を貫いてきたともいえましょう。


しかし、日米のそれぞれの特徴は長所であると同時に短所になることを忘れてはいけません。日本の場合、人間を信用しすぎる社会経済の仕組みが、さまざまな問題を引き起こしてきたと言えるのでしょう。