中国IT企業の組織マネジメント

かつて日本企業は、メイド・イン・ジャパンの高品質な工業製品で世界市場を席巻し、高度成長を実現しました。高度成長を実現させ、世界経済におけるジャパン・アズ・ナンバーワンの地位を確立することができた背景には、戦後に確立した日本の雇用慣行や組織マネジメントのあり方が、ものづくりを中心とする産業特性とベストフィットの関係にあったことを無視することはできないでしょう。

 

そして、いま世界経済で起こっていることは、世界におけるデジタル技術開発とその社会実装を中国が先導しているということです。中国市場でデジタル・イノベーションが先行し、BATJ(百度、アリババ、テンセント、京東)と呼ばれる巨大プラットフォーマー企業や、それに続く新御三家としてのTMD(バイトダンス、美団点評、滴滴出行)を始めとする中国初のデジタル企業(IT企業)が驚異的なスピードで成長しています。中国は国家レベルでデジタル革命を推進し、世界のAI大国になることを目標に掲げています。

このような中国のデジタル革命を支える中国IT企業の組織マネジメントとはどのような特徴を持っているのでしょうか。これについて岡野(2020)は、日本の組織マネジメントがリアルな世界でのものづくりに最適であったように、中国のIT・デジタル企業の経営者の思考や行動特性や組織マネジメントが、デジタル技術を活用した事業化にマッチしてしていることを指摘しています。では、デジタル産業での成功に寄与する中国企業の組織マネジメントとはどのような特徴を持っているのでしょうか。

 

岡野が指摘するのは以下の5点です。1点目は、中国の企業人は、日本の企業人のように「サービス・商品を地道に創る」という思考ではなく、「規制の製品・サービスを組み合わせて、短期・効率的に儲けたい」といったトレーダー思考だという点です。また、「まずはやってみる、走りながら考える」というトライアル・アンド・エラーによるスピード重視の考え方を持っています。この思考は、中国のIT企業が、「社会の困りごと」を見つけ、そこからプラットフォームを作り出すチャンスを伺い、小さな一歩から始めて試行錯誤で事業化できるかどうかを模索し、スピード勝負で事業化して市場を押さえるという一連の行為を可能にしてきたといいます。

 

2点目に、中国のIT企業は、カリスマ的な創業者などによる「トップの独裁」と階層構造が弱い「フラットな組織構造」という特徴を持っており、それが、トップダウンでの先行投資による一気呵成な事業立ち上げや、1つのデータを全社皆で見るといったデータ活用にマッチしてきたという点が挙げられます。一般的に、顧客満足度を志向するような営業思考と、デジタル技術開発やデータ活用といった技術志向を1つの組織に共存させることは難しいことなのですが、独裁的な経営者がトップダウンで異なる文化を自社内で両立させ、経営スピードを高めるといったことが可能になったというわけです。

 

3点目は、トップ経営者が自民族の誇りや愛国心に基づき、社会の課題や国家の発展における自社の存在意義を強く打ち出すという「大義名分・ビジョン」を掲げることで、顧客(消費者)、社員、政府からの「共感と期待」を獲得し、先行投資が続くことで先行きが見えないなかでも、社員の求心力や消費者からのサポートを得ることができてきたということが挙げられます。これは、中国では、国民の自立心と向上心を刺激し一体化を醸成するような学校教育や政策方針を持っており、国民と政府が一体になって世界の頂点を目指して国を押し上げようとするエネルギーがうまく活用されていると考えられます。

 

4点目は、ルールによる秩序よりも、実験を繰り返しながら前に進もうとする組織文化を中国IT企業が持っていることです。中国企業の社内ルールは曖昧さを含んでおり、トップに裁量の余地を残しているケースが多いといいます。そのため、投資判断が柔軟・スピーディに行われ、社内で競合関係を作るなど、あえてカオスを持ち込むマネジメントなどが行われているケースもあるといいます。例えば、テンセントの「灰度哲学」は、組織マネジメントやリーダーシップにおける「寛容」「多様なものが混じりあって1つになること」の大切さを説いており、さまざまな役割を拙速に型にはめようとせず、それが成長し変化するのを容認する姿勢を貫いているといいます。

 

5点目は、「中国を実験場として最先端のものを作り、それを世界で売る」という精神によって、優秀な人材に成長の場を提供することで新技術やモデルに積極的にチャレンジする土壌を作っていることです。これは、中国では個人や企業などのデータ活用が比較的容易であること、新興企業はレガシー・システムが存在しないためゼロベースでシステムの構築が可能であること、そして企業のイノベーションに対して中国政府は放任の政策をとっていることなどから、例えば「世界最先端の金融システムを開発したい」といった一流の技術者のマインドに対して、実験の場を提供できていることが挙げられます。

 

異常のように、岡野は、中国IT企業のトライアル・アンド・エラー、スピード重視、成長志向といった特徴が、デジタル技術を活用した事業化にマッチしていること、そして、トップ権限が強く階層構造が弱いという組織の特徴がデータ活用で優位性を生み出していることを指摘しており、日本企業が重視してきた組織マネジメントとは異なることを理解すべきだといいます。そして、デジタル産業では、「実験を繰り返しながら、ビジネスモデルを作る」スタイルがより強く求められていること、「自社を実験台として、多くの企業をオープンに集めて、エコシステムを創っていくこと」ができる企業が成功確率を高めると指摘しています。

参考文献

岡野寿彦 2020「中国デジタル・イノベーション ネット飽和時代の競争地図」日本経済新聞社

日本企業の競争力を支えた戦後日本型循環モデルの成功と劣化

第二次世界大戦後の日本は、戦後復興と高度経済成長という奇跡を謳歌し、その経済成長を支え、高品質な製品で世界の市場も席巻した日本企業の競争力、とりわけ雇用や人的資源管理のあり方は世界からの称賛の眼差しで迎え入れられました。これは、日本全体における若者の教育から就職、そして企業における雇用慣行や人的資源管理といった様々な施策が1つの大きなシステムとして極めて効果的に機能していたことに起因します。 しかし、とりわけバブル崩壊以降、平成30年間の経済低迷期においては、その劣化と機能不全が明らかとなり、現在にいたってもいまだに根本的な問題解決に至っていないのが現状だと言えましょう。

 

日本企業のかつての競争力の源泉が「日本的経営」や「日本的人事管理」といった言葉で語られ分析される際には、企業経営というレベルでみた雇用や人事の仕組みに焦点が当たることが多いかもしれません。しかし、上述のとおり、日本企業の競争力の源泉を真に理解するためには、日本という国家全体において効果的に機能していたシステム全体を独特な社会モデルとして理解することが必要不可欠でしょう。とりわけ、かつては現在ほど様々な分野でのグローバル化が進んでおらず、企業の生産活動の多くが日本国内で行われることでメイド・イン・ジャパン製品を生み出し、かつ雇用面においても国際化が進んでいなかったために、企業活動を支える労働力が日本で育ち日本の教育を受けた人々によって占められていたということも考慮する必要があるでしょう。

 

本田(2019)は、このような独特な日本全体のシステムを「戦後日本型循環モデル」という形で整理し、その成功と劣化、破綻を、政策や社会問題の視点からとらえています。本田によれば、戦後日本型循環モデルは、1960年代を中心とする高度経済成長期に形成され、石油危機後の1970~1980年代の安定成長期に普及と深化を遂げたシステムです。今回は、この戦後日本型循環モデルのポイントを、政策や社会問題的視点には深く立ち入らず、あくまで日本企業が有していた競争力の源泉という視点からとらえてみることにします。

 

戦後日本型循環モデルのもとでは、主に男性が企業の長期雇用と年功賃金により家計を支え、家族は次世代である子供の教育に多額の費用と意欲を注ぎ、教育を修了した子どもは新規学卒一括採用により間断なく企業に包摂されるという循環構造が成立していました。この循環構造によって、人々の生活保障がほぼ全面的に企業の安定雇用と年功的な賃金によって支えられていたため、政府は産業政策によって企業の雇用を維持しておけば、教育および家族への政府支出を極めて低く抑制することが可能だったと本田は指摘しています。

 

この戦後日本型循環システムの重要な構成要素の1つが、新卒学卒一括採用という世界でも特異な「学校から仕事への移行」の慣行です。高校や大学の卒業よりもずっと前に就職活動をして内定を獲得し、卒業後に間隙なく従業員として企業の雇用に包摂されていくこの慣行は、石油危機後に他国で若年失業率が急上昇した際にも失業率を極めて低い水準に保つことを可能にし、有効性の高い慣行として注目を浴びたと本田は解説します。

 

そして、戦後日本型循環モデルに基づく企業の人的資源管理を側面から補強してきたのが非正規雇用です。本田によれば、戦後日本型循環モデルのもとでは、主に男性からなる正規労働者は企業の構成員として包摂され安定雇用と年功的に上昇していく賃金を得る代わりに無限定な貢献の要請を受け入れるという関係にあったわけですが、非正規労働者は主婦や学生など補助的・一時的な収入を目的とする層を対象としており、そのため、短期雇用と低水準の賃金が当然視されていました。これにより、日本の企業は正規労働者のみならず非正規労働者を活用することで、過剰な費用負担を抑えながら経営を維持することができたともいえましょう。

 

しかし、バブル景気の崩壊後は、経済の低迷とバブル期の新卒過剰採用、中高年齢層に達した団塊世代の人件費負担、後発諸国の経済的台頭などの複数の要因によって新規学卒者を正社員として採用する余力が著しく低下したため、正規雇用に参入できない若者を増加させ、「就職氷河期」「ロスト・ジェネレーション」「ニート」などを生み出しました。家計維持者でありながら正規雇用に従事する者が増加したにもかかわらず、正規雇用と非正規雇用との強固な分断線は維持され続けている一方で、正規労働者間でも、長時間労働や低賃金、ハラスメントなどの労働条件の悪化が進んでいると本田は指摘します。

 

参考文献

本田由紀 2019「若者の困難・教育の陥穽」in 吉見俊哉(編)2019「平成史講義」(ちくま新書)

 

組織設計の人事経済学「番外編」ーデジタルトランスフォーメーションはテイラー主義を復権させるのか

今回は、本ブログの人事経済学シリーズのうち「組織設計の人事経済学」の番外編として、デジタルトランスフォーメーション(DX)が、組織設計、職務設計、そして人々の働き方に与える影響について考えてみたいと思います。例によって、ラジアー & ギブズ (2017)を参考に論じてみようと思います。

 

昨今のビジネス経済において最も勢いのあると考えられる企業として、アメリカのGAFAや、中国のBATが挙げられます。これらの企業は、ITやAIなど、いわゆるビジネスや企業のデジタルトランスフォーメーションを最大限に活用し、そこから最大限の恩恵を得ることによって、ビジネスや時価総額で他の企業を圧倒しているように見受けられます。また、2020年に発生した新型コロナウイルス感染症の影響により、多くのビジネスや働き方において在宅化、リモート化を加速させざるを得なかった事情も含め、ビジネスや企業のデジタルトランスフォーメーションはもはや必須の情勢となりつつあるようです。

 

IT、IoT, AI、データサイエンスなどを中心とするデジタルトランスフォーメーションの特徴は、これまでの機械化やオフィスオートメーション化をはるかに超え、人間の頭脳を代替するような仕事をどんどんとIT、IoT, AI、データサイエンスが担うようになることによってビジネスを革新していこうとする点です。では、これらの技術は、企業組織や、職務設計や、人々の働き方にどのような影響を与えるのでしょうか。今回の大きなテーマは、デジタルトランスフォーメーションは、経営学でも最も古い考え方でもあるテイラー主義(科学的管理法)を大々的に復権させるではないかという点です。本ブログでも経済学的視点からこれまで論じたトレードオフの論点を思い出してみましょう。

 

まずは、意思決定や職務設計の論点として、中央集権、集中化、計画重視の設計と、分権化、分散化、改善重視の設計の2つの間のトレードオフがあることでした。とりわけ、前者の集中化・計画化の制約条件となっていたのが、必要な情報を中央に吸い上げ、そこで集中して計画、設計、意思決定をしていくには、いくら優れた人材を中央に配置したとしても、彼らの情報処理能力、認知能力には限界があり、非弱すぎるという点でした。もう一つは、情報伝達コストで、とりわけ現場レベルで発生、獲得される特殊な知識や情報は伝達するのが困難で高コストであるという点でした。そのため、VUCAと呼ばれるように、とりわけ変化が激しく、複雑で、不確実で、曖昧なビジネス環境では、中央集権、集中化、計画重視の設計は分散化には太刀打ちできないということでした。

 

しかし、よく考えると、デジタルトランスフォーメーションというのは、上記に挙げた、中央集権、集中化、計画重視を実行するうえでの制約条件をうまく解決できる方向で進化しているということが分かります。つまり、情報を中央に集中させて計画、設計、意思決定を行うような、複雑な計算を伴うような頭脳的作業をスーパーコンピューターのようなものが可能にしてくれるということ、そして、あらゆる情報がデジタル化の方向に進むことによって、情報伝達コストが格段に下がり、あちこちに局在している現場レベルの情報であっても低コストで中央に集中させることが可能になっていることです。あらゆる情報を集中させてビッグデータを作り、そこからデータマイニングなどの分析を通じてもっとも経済合理的かつ利益を最大化する解を見つけ出すことこそ、AIやデータサイエンスが今後もっとも能力を増強させていくであろうということなのです。

 

上記の現象は、まさに、最も古典的な経営学の思想でもある「テイラー主義(科学的管理法)」の復権を意味しているとは言えないでしょうか。囲碁であろうが将棋であろうが人間の叡智を打ち負かし、人間の身体や頭脳が有する限界をはるかに超えた、超人間的な計算能力をもつAIが、広範囲かつ複雑な業務活動をうまく調整し、もっとも科学的で、経済合理的で、利益を最大化するような解を見つけ、適切な指示を各方面に送ってくれるというわけです。そして、AIの活躍を可能にするような情報インフラ、すなわちAIそのもののパワーアップに加え、あらゆる業務のデジタル化や情報伝達のますますの進化が、その傾向を加速させるわけです。そして、これらを最大限に活用できている企業が、組織の規模拡大の限界点をも超えて拡大を続け、世界経済を席巻するのかもしれません。

 

上記の議論のイメージがしやすいように、車の運転の歴史を取り上げて考えてみましょう。ここで、車を運転することを「仕事」だと捉えると、これまでどうなってきたのでしょうか。昔は、車の運転の知識、情報、技術を完全にドライバーにゆだねるしか方法がありませんでした。例えば都市部の交通を管理するうえで中央集権的にできることといえば、交差点での信号の整理や道路標識、地図の提供といったものです。交通渋滞を防いだり、交通事故を防ぐには、ドライバーがしかるべき運転技術を身に着け、地図などを頼りに抜け道などを記憶し、状況に応じて道順を変えたりスピードを変えるなどの対応が必要だったわけです。これは、集中化、計画化による交通整理はほとんど無理で、権限を委譲し分散化されたシステムでドライバーにゆだねることで調整を図るという業務システムだったといえるでしょう。この場合、末端の現場にいるドライバーの運転技術や知識が最も重要だったわけです。

 

しかし時代が変わり、テクノロジーの進展とともに、カーナビが進化しました。多くの車でカーナビが標準装備され、ドライバーは地図や抜け道の知識や、運転しながら状況に応じて道順を変えたり抜け道を探すといった作業が軽減されました。悪い言葉でいえば、言われたとおりに仕事をすれば、各ドライバーは最短時間で目的地にたどり着き、全体としての交通整理も実現するというわけです。これは、IT技術の進化によって、以前よりも中央から集中的に交通を管理することが可能になり、その分、各ドライバーの運転技術や知識の重要性が低下したといえるでしょう。現代のドライバーは、運転前に地図の細かい部分を頭に叩き込まなくても、あるいは素晴らしい助手を隣に配置しなくても、運転できるようになったのです。いまやマニュアル車はほとんどなく、AT社が当たり前。また、ドライブレコーダーやカメラなどの進化で、車庫入れや縦列駐車、運転トラブルなどの負担も軽減されるようになってきました。

 

そして、これからの車の運転はどうなるでしょうか。おそらく自動運転が現実化してくるでしょう。自動運転になれば、ドライバーの運転技術や道路知識、柔軟な対応などはほとんど必要なくなります。あらゆる情報、例えば、地図の情報のみならず、今乗っている車のコンディション、ガソリンの状態までもが、衛星などを通じて集中管理され、中央から車自体に直接指示が飛び、それに従って車が走る。それによって、それぞれの車は円滑に目的地にたどり着き、交通渋滞も緩和されるわけです。これは、人間の身体や頭脳だけでは不可能な中央集権・計画的管理そのものです。低コストで情報を中央に集中させる情報インフラ、そして膨大な情報から適切な指示を各車に送ることができるAI、これらのタッグにより、人間の頭脳の限界や情報伝達コストの限界を優に超えた業務システムが出来上がったといえるわです。これこそ、テイラー主義復権といえるのではないでしょうか。

 

 ただ、だからといって、未来のドライバーは全く自由を失い、AIの言いなりになってしまうのかといえばそうとも言えないでしょう。つまり、ドライバーがAIなどに仕事を奪われて失業してしまうのかというと、そうでもないだろうということです。運転技術や地図の知識は必要なくなったとしても、周辺情報や逆に中央から提供される分散型情報などを活用し、より安全かつ快適な移動経験が実現するよう、工夫をしていくことができるでしょう。まさに、私たちが、計算機の知識やプログラミングの技術がなくてもスマホやPCを使いこなして仕事ができるようになったように、将来のドライバーは、必要な技術や知識、そしてドライバーとしてこなすべき役割を変えつつも、新たな役割や仕事を通じて安全かつ快適な交通に寄与していくことが期待されるのです。

 

上記の車の運転のイメージを念頭に本題に話を戻すならば、デジタルトランスフォーメーションが進展することにより、テイラー主義(科学的管理法)は復権し、ビジネスを成功させるうえでの威力を増しつつも、同時に、本ブログで紹介したような分権化、分散化、継続的改善のメリットも取り入れることで、より進化した組織構造、業務構造、職務設計、そして働き方が実現していくことが期待されるといえるでしょう。良くいわれるように、デジタルトランスメーションやITの進化は、ある面では、人間がこれまでやってきた仕事をテイラー主義に基づいて代替していくことになりますが、一方で、AIやITは私たちの仕事を補完するという点に着目し、AIと人間が協力しながらより暮らしやすい世界を築いていくことを期待しましょう。

 

参考文献

エドワード・P・ラジアー, マイケル・ギブス 2017「人事と組織の経済学・実践編」日本経済新聞出版社

組織設計の人事経済学3ー最適な職務設計を通じて人材と組織のパフォーマンスを最大化する

本ブログの人事経済学シリーズでは、人材や組織が経済合理性の原則にしたがって行動することを前提に、優れた人材の獲得と活用を可能にする人事管理と、人材活用の制約条件となりうる組織構造の効果的な設計を通じた組織のパフォーマンスの最大化について理解してきました。今回は、人材と組織をつなぐもっとも重要かつ基本的な単位である「職務(仕事、ジョブ)」について、例によってラジアー & ギブス (2017)を参考に考えてみたいと思います。

 

職務とは、組織として製品やサービスなどのアウトプットを生み出すのに必要なさまざまなタスクを束ねて、人材がそれを担当できるようにパッケージ化したものです。組織がアウトプットを生み出すために職務が存在し、その職務を遂行するために従業員が雇用されます。日本の社会では就職ではなく就社といった「メンバーシップ型雇用」が支配的だという見方がありますが、世界の多くでは、特定の職務遂行のために雇用契約を結ぶという「ジョブ型雇用」が主流です。職務は人事管理上もっとも基本的な概念といえるのです。

 

重要なのは、この「職務」をどのように設計するか、言い換えれば、どのようにタスクをまとめて1つの職務にしていくかが制約条件となって、人事管理の効果性や組織のパフォーマンスに影響を与えるということです。例えば、職務設計のあり方が、企業が募集や採用を行う際の制約条件となります。設計された仕事が労働市場に存在する人々が保有している知識やスキル(人的資本)とマッチしていなければ、良い人材を獲得できません。例えば、日本企業が、新卒採用の時の募集職種の設計の仕方(総合職、技術職など)と、中途採用の時の募集職種の設計の仕方(販売マネージャなど)を違うものにしているのは、募集の対象となる労働市場が異なり(新卒採用市場と中途採用市場)、それぞれの労働市場に存在する人材の人的資本の特徴が異なるからにほかなりません。

 

また、職務設計は、人材が能力を発揮して組織のパフォーマンスに貢献する際の制約条件にもなります。職務遂行時の作業方法が細かく決められていて従業員側に自由度がない場合は、その職務のアウトプットの上限が決まってしまい、それを超えたパフォーマンスを生み出すことはできません。逆に、職務遂行の自由度が高く、創意工夫が可能な場合、大きなイノベーションにつながることさえあるでしょう。職務の特性が従業員の労働意欲に与える影響も、パフォーマンスを規定する制約条件として無視できないでしょう。単純な仕事は虚無感を生み出しかねませんが、やりがいのある仕事は内発的動機付けを高めます。そして、組織設計でも触れたとおり、職務におけるタスク間の関係や職務間の関係は、業務の効率性、経済性と関連し、事業のオペレーションを通じた組織のパフォーマンスと直接的に関連しているともいえましょう。

 

では、この職務設計における経済学的な基本原則とは何でしょうか。ここでは、経済学に特徴的な、トレードオフの関係に着目して最適点を探り出すという視点から、大きく2つを紹介します。1つ目は、本ブログの組織構造の設計でも紹介した、専門化と調整とのトレードオフの視点、2つ目は、 意思決定構造で紹介した内容とも絡む、テイラー主義と職務拡充・継続的改善とのトレードオフの視点です。まず1つ目の視点についてですが、これは、タスクを専門化するほど効率は上がるが、その分、タスク間の調整コストも上がるというトレードオフを考慮するということで、相互依存性の高いタスク同士、補完性の高いタスク同士をまとめることで調整コストが最小となるようにタスクを束ねて職務を設計することになり、モジュール化の原理を活用することになります。

 

ただ、職務というのは通常、1人の従業員が担当する範囲になるので、どこまで束ねるタスクの範囲を広げるかという論点も重要です。これは、マルチタスク化を進めるかどうかということです。マルチタスク化を進めるかどうかについても、そのメリットとデメリットというトレードオフを考慮する必要があります。マルチタスク化を進めるということは、1人の人材が狭い範囲の仕事に専門特化することで得られる効率性のメリットを犠牲にしつつ、1人の人材が複数のタスクをこなすことで異なるタスク間の調整コストを下げることを選択するという判断になります。マルチタスクであれば、異なる職種間のコミュニケーションが円滑になる、あるタスクをこなす人材が欠勤したときに他のメンバーが対応できるなどのメリットもあります。また、マルチタスクのほうが高い能力を必要とするので、どのような人材を労働市場から調達しようとするのかともかかわってきます。

 

次に、職務で行うタスクのスケジュールや手順を、職務設計の段階であらかじめ決めてしまって、従業員は決められたことをするだけで企業のパフォーマンスが高まるように設計する方法があります。これは、経営工学エンジニアやコンサルタントなどの高度な頭脳を結集し、集中化と計画を重視し、中央集権的に職務を設計し従業員に職務遂行させる「テイラー主義(科学的管理法)」だと考えられます。一方、現場の従業員に権限を委譲し、マルチタスクや判断・意思決定、作業スケジュールや手順の決定などの分散化を通じて、現場レベルでの継続的な改善を期待する方法があります。こちらは、マルチタスク化など職務範囲と意思決定権限を拡充するという意味で、職務拡充主義と考えられます。

 

テイラー主義と職務充実主義のどちらを採用するのか、あるいはその中間のどのあたりに落ち着かせるのかについては、こちらも意思決定構造で解説した中央集権・計画型と分権・分散型とのそれぞれのメリットとデメリットを考慮したトレードオフの検討によって導かれると考えられます。一般的には、組織規模が大きく、業務構造が複雑でなく、事業が安定しており、環境や将来が予測しやすい場合には、テイラー主義に基づく集中化・計画化によるタスクの専門化とタスク間の調整を通じた職務設計のメリットが高まります。その逆の場合に、現場に権限を委譲し、現場の特殊知識・情報を用いて継続的な改善を指向する職務拡充主義のメリットが高まります。古くは自動化、オートメーションの発展により、そして昨今のデジタルトランスフォーメーションの発展により、テイラー主義を用いて設計することが効率的な職務の多くは、将来、機械、ロボット、AIなどで置き換えることが可能なものだといえましょう。また、従業員の内発的動機付けを高めるという視点からは、テイラー主義よりも職務拡充主義が優れていることは周知のとおりです。

 

現実の企業においては、その企業が有する異なる事業の特徴の違いや、異なる業務・職能の特徴の違いに基づいて、テイラー主義と職務拡充主義を使い分けている、すなわち共存させていると考えてよいでしょう。例えば、日本の主要メーカーの製造現場というのは、テイラー主義的な集中管理で品質や生産性を維持すると同時に、QCサークルのような継続的な改善も同時に行ってきたことで競争力を高めてきたのだと解釈することができましょう。

 

参考文献

エドワード・P・ラジアー, マイケル・ギブス 2017「人事と組織の経済学・実践編」日本経済新聞出版社

組織設計の人事経済学2ー経済合理性に基づいた組織デザインでパフォーマンスを最大化する

企業は、優れた人材を獲得し、それらの人材を活用することで組織のパフォーマンスを最大化しようとします。しかし、企業が優れた人材を活用して組織パフォーマンスの向上につなげられるかどうかを左右する大きな制約条件として、「組織の構造」が挙げられます。組織がどのように構造化されているかによって、人材が実力を発揮して組織パフォーマンスが高まるケースと、逆に、いろいろと人事管理を工夫して一所懸命働いてもらうようにできても組織パフォーマンス向上につながらないケースなどが出てきてしまうのです。今回は、ラジアー & ギブス (2017)を参考に、どのように組織構造を設計するのが、人材を有効活用し、企業業績を最大化するうえで経済学的に合理的なのかについて解説します。

 

そもそも、人間が集まって仕事をするようになったのは、それぞれが役割分担をして自分の得意な分野に特化し、そしてお互いに協力しあって働くほうが効率がよく生産性が高いからです。小さな集団であれば、集団全体が見渡せる中、インフォーマルなコミュニケーションやリーダーシップを通じてメンバーが足並みをそろえて働くことが可能であり、それが集団運営のコストもかからずもっとも効率的なわけですが、集団や組織が大きくなるにつれて、だんだんと全体が見渡せなくなり、そのような柔軟な集団運営ができなくなってきます。そこで、多少のコストをかけてでも、組織内に階層を作って公式な責任権限を明確にし、ルールによって人を動かす必要が出てきます。さらに、仕事間の調整も難しくなってくるので、組織を分割して管理をしやすくすることも必要になってきます。

 

このように、組織規模が大きくなるにつれて、意識的に組織構造を設計し、ある意味「自動運転」ができるようにしなければなりません。その方が場当たり的に組織を運営するよりも安定するし効率的になるからです。そこで、組織構造を設計する際には、企業業績を高めるうえでもっとも経済合理性がある方法で行う必要が出てきます。つまり、組織設計の経済原則に沿ったかたちでの組織デザインが求められるのです。このような組織設計の経済原則については、もっとも単純化すれば次の2つの要素のトレードオフという制約条件から最適解を得るということに集約できるでしょう。1つめは、専門化して分業体制を敷くほど、それぞれの仕事の効率が上がること。もう1つは、専門家や細分化を進めるほど、足並みが揃えるのが難しく、仕事間の調整が複雑になって効率が下がることです。市場であれば「見えざる手」のメカニズムで調整するわけですが、組織の場合は、市場原理も取り入れつつも、基本は責任権限の階層化とルール化という「見える手」で調整を行うことになります。

 

組織が大規模化するほど、専門化と調整という2つ要素によるメリットとデメリットの規模も大きくなります。また、組織が大規模化するほど、規模の経済や範囲の経済が企業業績を押し上げる方向に働く一方で、間接人員の増加や規則やルールの運用などの管理コストの増加が企業業績を押し下げる方向に働きます。これらのトレードオフの関係を十分に理解し、専門化や大規模化のメリットを最大化させ、管理や調整のデメリットを最小化するような組織構造の最適解を導きだすことができれば、理論上は組織のパフォーマンスが大きく高まることが予想できます。組織構造の設計はそのような考え方でなされるのが経済合理性にかなっているというわけです。

 

では、もう少し具体的な組織構造の設計の原則について見ていきましょう。まず、大きく複雑化したために場当たり的な運営が難しくなった組織を、小さな単位に分割して管理しやすくする必要があります。ここでの問いは、どのように組織を分割すれば、効率や生産性が最大化し、管理コストが最小化するかです。ここでの原則は、まず、専門化を推進して同じような機能や職能をまとめれば、先輩から後輩への知識移転や集団での人材育成が効率化するといったような規模の経済を享受することができること、それから、相互補完性が高いためシナジー効果がみられる仕事同士、そして相互依存性が高く密接に関連している仕事同士をひとまとめにして括るほうが、生産性向上のメリットと調整コストの節約につながるということです。調整が必要な仕事が組織横断的に広がっていれば調整コストが高くついてしまうので、それを防ぐわけです。

 

上記の経済原則を端的に示すのが「モジュール化」という発想です。モジュールとは、特定の機能をもったまとまりで、お互いに相互依存性が低く独立性が高いので、モジュール間の調整が容易です。製品例でいえば、PCを構成する各部品がそれにあたり、部品のモジュール化の進展でPCの値段が劇的に低下したとも考えられます。部品間の調整が容易なので、同じ性能でももっとも安価な製品を見つけてきて組み合わせれば価格が下がるのです。一方、部品間のすり合わせ、すなわち調整が必要不可欠な製品はインテグラル型と呼ばれ、開発の際のすり合わせ(調整)のコストがかかるので価格が容易に下がりません。話を戻すと、組織設計においても、モジュール化の発想に基づき、モジュール内の密接性・相互依存性は高く、モジュール間の独立性が高いような形で行うことが経済的に理にかなっているということです。

 

これまで紹介してきたような経済原則を念頭に置くならば、単一事業で組織が中規模な企業の場合、営業部門、生産部門、管理部門といった部門で構成される職能別組織が各種トレードオフを考慮した最適解になることが分かります。組織を機能別に分割することで、それぞれの専門性が高まって効率性があがり、機能部門内の規模の経済が働くことで知識共有や人材教育の効率も上がり、単一事業、中規模のため組織の上位層による機能間の調整にも大きなコストがかからないという特徴があるからです。しかし、事業が多角化・複雑化し、組織規模がさらに大きくなると、調整コストが機能別集約のメリットを上回るようになり、機能別組織はトレードオフの最適解ではなくなってきます。機能別部門の規模が増大しすぎて管理コストが上昇するのと、事業が複雑化することで組織の上位職層による機能間の調整が難しくなってくるからです。

 

そこで、組織の成長に伴う機能別組織の次の段階として、事業部制組織が各種トレードオフの最適解となってきます。例えば、製品別や顧客別、地域別といった形で組織を分割することで、同一製品における販売、生産、管理など相互依存している業務同士を束ねることによるシナジー効果の発揮と調整コストの節約が可能になります。また、肥大化して管理しにくい機能別部門の代わりに、ミニ会社のような事業部を設定しその下に機能別に部署を配することで、先にみた中規模の機能別組織の会社を運営しているのと同じ状況となりますので、単一事業かつ中規模では機能別組織が最適解であるという経済合理性と一致します。また、製品、顧客、地域など、何を基準に事業部を括ればよいかについては、事業部間の相互依存性、調整コストが最小化するように括り方を決定するという経済原則を適用することできます。事業部長がミニ社長の仕事をすることによる経営人材育成の効果も見込めるでしょう。

 

ただ、事業部制を採用しても、事業部間の相互依存性が高まってきたり、今度は、機能別組織のメリット・デメリットと、事業部制組織のメリット・デメリットがトレードオフの関係にあるというようなことが、組織構造の設計でのさらなる課題として出てきます。例えば、事業部制組織にすれば、研究開発部門は事業部横断的に分散されてしまうが、研究開発部門のみに限っていえば集中化させることによる規模の経済の効果が大きく、機能別組織であるほうが望ましいケースも出てきてしまいます。そこで、企業としては、機能別組織と事業部制組織の特徴を組み合わせることによって、それぞれのトレードオフから最適解を導くように組織構造を設計するのが合理的な選択となります。具体的には、製品別事業部制を敷きながらも、研究開発部門のみについては事業部から切り離して集中化させる、マトリクス型組織を採用し、機能別と製品別の2つのラインを交差させる、部門横断的なタスクフォースやクロスファンクショナルチームを設定してややインフォーマルな、あるいはテンポラルな方法で事業部間の調整を図るといったものが考えられます。

 

このように、組織構造の設計というのは、教科書的に分類されている機能別組織、事業部制組織、マトリクス型組織などの基本型と、ネットワーク型組織や部門横断的タスクフォースなどよりインフォーマルかつテンポラルで柔軟な手段を組み合わせることによって、各種トレードオフの最適解として組織パフォーマンスが最大化させるように行うというのが、経済合理性にかなった鉄則であるといえるでしょう。ですから、おかれている環境や事業の特徴が異なる各企業にとっての最適な組織構造というのは、機能別組織だとか事業部制だとかに単純に分類できるわけではなく、いろんなものが組み合わさって、その企業に固有の構造になっているだろうし、経済学的にもそうあるべきだといえるのです。

 

参考文献

エドワード・P・ラジアー, マイケル・ギブス 2017「人事と組織の経済学・実践編」日本経済新聞出版社

組織設計の人事経済学1ー組織パフォーマンスを最大化する意思決定構造

人事管理で重要なのは、自社にとって必要な人材を獲得し、その人材を活用して企業業績を最大化することです。そのために、過去の人事経済学シリーズでは、募集と採用選考教育投資と人材維持、そして報酬・昇進・評価について解説を行ってきました。しかし、いくら優秀な人材を獲得し、その人材に教育投資をし、インセンティブを与えても、アウトプットを生み出すための組織や職務が社内にいる人材の能力を最大限に活用できるように設計されていなければ企業は業績を最大化することはできません。そこで今回は、組織内の人材を活用しながら、組織パフォーマンスを最大化するためにはどのような意思決定の構造が求められるのかについて、組織を経済システムになぞらえるかたちで経済学的な視点から考えてみたいと思います。今回も、例によってラジアー&ギブス(2017)を参考にします。

 

経済学的アプローチとは、企業にせよ、人材にせよ、平たくいえば損得勘定に基づいて自分が得をするように行動するという目的合理性を前提とし、それが環境における様々な制約条件やトレードオフに直面した際に、どのように行動し、どのような結果をもたらすのかを理解することでした。このような考え方に基づき、今回はどちらかというと企業の視点に焦点を当て、組織のパフォーマンスを最大化するための意思決定の仕組みをどのように設計するのかを理解することにします。何の制約条件もなければこれは簡単なことで、組織内に存在する情報を最も効果的に活用することで最善の意思決定を繰り返せばよいだけの話です。しかしそこには非現実的な前提が含まれており、それが今回考える制約条件に値します。その前提とは、意思決定をする人間が全知全能であること、そして、組織が意思決定するために必要な組織内の情報が瞬時に利用可能であることです。

 

上記の2つの前提が、今回焦点を当てる、2つの制約条件に値します。それらは、組織で雇用した人材の能力(情報処理能力)と、情報を扱うコスト(情報伝達コスト)です。まず、人間の情報処理能力には限界があります。経済学では、限定された合理性という概念で表現したりします。よって、組織で働く人々の情報処理能力の限界という制約条件を受け入れつつ、無理なく彼らの情報処理能力を活用して意思決定するととができるように意思決定構造を設計することが重要になります。つぎに、意思決定に重要な情報は組織内のあちこちに散らばっており、組織内に局在する人材によって保有されていたりします。良質な意思決定のためにこれらの情報を伝達するには時間やコストがかかることを考慮する必要があり、この制約条件を受け入れつつ、最良な意思決定をするための構造を設計する必要があるわけです。

 

では次に、組織を一国の経済システムになぞらえて意思決定の優劣について考えてみましょう。過去には、市場メカニズムを基本した経済活動を行う資本主義国家と、中央集権的な計画経済を採用する社会主義国家とがありました。しかし、20世紀末のソビエト連邦の崩壊により、中央集権的な計画経済が劣っていることが露呈しました。これは、国家レベルでは中央集権的な計画経済が意思決定の面でも劣っていることを意味しています。ではなぜ、市場メカニズムを重視する資本主義経済のほうが意思決定の面でも優れているといえるのでしょうか。それには、アダムスミスのいう「見えざる手」が関連しています。つまり、市場メカニズムというのは、中央の存在しない完全に分散化された個々の意思決定(例、売買)を基本としていても、国家(あるいは社会)全体として富が最適配分されるような意思決定をしていることに等しい結果を得ることができるというわけです。まさに「見えざる手」なのですが、メカニズム的には、取引価格にすべての情報が集約されることで個々の取引主体が自分自身の損得勘定に基づいて取引を行っても、全体としてみると最適な意思決定が実現するという理解になります。

 

もし上記のロジックが正しいとするならば、組織の運営においても、市場メカニズムを最大限に取り入れ、中央のない分権的な意思決定構造を持っていれば少なくとも意思決定という視点においては組織パフォーマンスが最大化することになります。現代風にいえば、完全なるフラット型組織です。しかし、ほんとうにそうでしょうか。経済学的に考えるならば、おそらく、組織にとって最適な意思決定構造というのは、完璧に中央集権的なものと、完璧に分権化されたものの中間のどこかにあるはずで、その度合い(集権か分権のバランスのあり方)が、組織を取り巻く様々な制約条件の状況によって変わってくるということになりそうです。では、どのようにして組織の意思決定パフォーマンスを最大化するような最適解が導かれるのか考えてみましょう。

 

まず、中央集権による計画経済のような組織について考えましょう。この場合、組織で働く人々は、損得勘定に従えば中央からのルールに従うことが最も得をするので、自分勝手なことはせず、規則に従い、計画や意思決定のための情報を中央に伝達します。このような意思決定構造で考慮すべき問題は、中央集権で意思決定をするためには、組織内に局在している情報をすべて中央に伝達するか、さもなくば、無視して意思決定に用いないかどちらかです。前者は情報伝達のコストが組織パフォーマンスを押し下げるし、後者は意思決定の質を下げます。また、情報が中央に集まれば集まるほど、中央で意思決定を行う人材の情報処理の限界を超えてしまい、良質な意思決定ができなくなります。組織内でもっとも意思決定能力の高い人材を中央に集めることが合理的な人材配置となりますが、それでも情報処理能力の限界を超えてしまいます。また、組織の周辺におり重要な情報を有している人材は、それを中央に伝達するのみで自分の情報処理能力を活用することができず、機会ロスにつながります。彼らが能力を活用して重要な情報を扱い、それがイノベーションにつながる機会も失われます。そもそも、中央集権的な組織で働く人々にとって、規則から逸脱する行動は損をすることになりますので、各人材は言われたこと以上の工夫をするインセンティブを有しないのです。よって、これらの問題を解決するためには、組織に市場メカニズムを導入して分権化を進めることで、見えざる手を利用して意思決定の質やイノベーションの発生確率を高めていくことが必要になります。ではどこまで分権化を進めればよいのでしょうか。

 

市場メカニズムを導入した分権化の下では、組織で働く人々は、損得勘定に基づいて自分の持っている情報を活かして自由に意思決定を行います。例えば、局所的であっても良い意思決定をすれば自分の評判(市場でいえば価格)が上がり、収入も増えるので得をします。健全な競争が発生し市場メカニズムが機能すれば、局所的な意思決定は集合的には組織全体にとって最適な意思決定につながります。各人材が自分が得をするように工夫すればイノベーションにもつながるでしょう。では、完全な分権化の問題は何でしょうか。これは、経済学でいうところの「市場の失敗」という状況によって、全体として最も望ましい最適な意思決定につながらないという問題です。そもそも、経済活動がすべて市場を通して行われるのではなく、市場の代わりに組織が存在するのも、それが理由だといえます。市場の失敗の原因の一つが「外部性」です。「ネットワーク外部性」などがありますが、平たくいえば、経済主体同士の取引によって生じるコストや便益を、取引とは関係のない第三者が享受したり負担したりすることになる現象です。外部性が存在すると、組織内における自分自身の活動の損得が他の誰かの活動からの影響を受けてしまうし、自分の活動が他の誰かの損得に影響を及ぼしてしまいます。それから「公共財」の問題もります。こちらも、自分の行動が、第三者の便益に影響を与えるため、市場メカニズムが想定するような効率性が実現しません。これらの問題を防ぐためには、権限を利用して組織内の活動を調整する必要がでてきます。これは、人材の活動の自由を制限するために権限の一部を取り上げ、その権限を使って調整を行うというように、徐々に集権化を進めるプロセスに値します。「規模の経済」という市場の失敗もあります。活動を集中化したほうが効率が良くなるという現象です。これも中央集中化につながる現象です。

 

これまで述べてきたように、完全な集権化と、完全な分権化を比較した場合、それぞれの長所や短所が明らかになるので、組織の取り巻く制約条件を考慮することで、その中間のどこかの地点に、自社の組織の意思決定構造を設計することになります。その判断基準として、ラジアー&ギブス(2017)は、これに関して、以下の4つの論点として整理しています。

  • 中央と現場の知識の双方を効率的に利用すること
  • 必要に応じて意思決定を調整すること
  • 調整された良い意思決定をするための強いインセンティブを与えること
  • イノベーションと適応性を意識すること

 

産業・業界や 組織の規模、業務の特徴などによって、上記の4つの度合いは異なってきますので、各企業は、組織の意思決定パフォーマンスを最大化するために、これらの論点が自社ではどのような状況になっているのかを考慮したうえで、中央集権と分権の間の最適な地点を探しあてることになるのです。

 

また、ラジアー&ギブス(2017)は、意思決定を階層化することで、集権と分権のバランスを考える際に有効であることも述べています。つまり、意思決定は、構想、認可、実行、モニタリングという要素に階層化されているわけですが、いわゆる情報を生み出し、情報を使って実行する段階(構想や実行)では、生の情報に近いところで行う分権化が望ましく、意思決定のプロセスをコントロールするような段階(認可やモニタリング)では、中央で全体をコントロールする集権化が望ましいというわけです。

 

参考文献

エドワード・P・ラジアー, マイケル・ギブス 2017「人事と組織の経済学・実践編」日本経済新聞出版社

報酬・昇進・評価の人事経済学3ー人材の努力を最大化する昇進制度

通常の人事管理では、昇進というのは、適材適所を実現するための手段として捉えるのが一般的です。つまり、特定のポジションに最適な人材を企業内外から見つけ出して当てがうということです。しかし、昇進は、報酬の増加を伴う上方向の移動であるという点も忘れてはなりません。つまり、企業で働く従業員から見れば、努力をすることで昇進して報酬が増えるのであれば、これは立派なインセンティブになるのです。とりわけ日本のように、新卒採用で大企業に入社し、よーいドンで同期間の出世競争が始まり、長期間にわたる椅子取りゲームの結果、見事に社長の座を射止めるといった昇進レースは、まさに高額な賞金(報酬)を伴う長期間にわたるトーナメントだとも言えましょう。もっと正確に言えば、最初はマラソンで全員が一斉に競走し、途中で優勝候補のみがあつまった先頭集団のみにおいて、取締役から社長に至る決勝トーナメントが行われるといってもよいのかもしれません。この考え方を応用すれば、企業は昇進の構造を工夫することで、従業員から最大限の努力を引き出すことに成功することができるといえましょう。今回は、ラジアー&ギブス(2017)を参考に、インセンティブとしての昇進構造の仕組みについて考えてみたいと思います。


企業組織は多かれ少なかれピラミッド型の階層構造を成しており、昇進についても上に行くほど先細っていきます。すなわち、トーナメントや椅子取りゲームの様相を呈しているわけで、企業内で働く従業員から見れば、出世競争に勝って昇進を果たすことで報酬が増加します。昇進が従業員の職務成果に基づいて決まるならば、従業員が職務成果を高める努力が最大化するように昇進の仕組みを設計すれば、それによって企業は利益を最大化させることができます。従業員が職務成果を高めるために努力を投じる度合いは、それがどれだけ昇進に結び付き、昇進がどれだけ報酬の増加に結び付くかで決まります。よって、企業が昇進の仕組みを設計する上でのポイントは、従業員の努力、そしてそれに伴う職務成果が昇進に結び付く確率をどれくらいに設定するかと、昇進の際の報酬の増加額をどれくらいにするかです。例えば、大人数のうちごく少数しか昇進できない場合には、努力が昇進に結び付く確率が下がる、すなわち努力が収入増につながる期待値が下がりますので、従業員は積極的に努力をしなくなります。もしこの状況で従業員の努力を引き出したいのであれば、昇進をしたときの報酬の増加額を高めることで、努力が収入増につながる期待値を高めるようにしなければなりません。


前回までで紹介したような個人別の成果主義報酬と比べて、インセンティブとしての昇進を考える際に注意しなければならないのは、昇進においては、社内の同僚との競争が伴うという点です。つまり、昇進するためには同じイスを狙う同僚との競争に勝つ必要があるということです。これが、従業員が投じる努力の種類を複雑にしてしまいます。というのも、同僚よりも相対的に勝っていればよいという仕組みであるならば、同僚の邪魔をすることで同僚に勝とうとする努力への道を生み出してしまうからです。このような努力がなされるならば、それは職務成果の向上にはつならがらず、企業も業績を最大化させることができなくなってしまうのです。また、同僚との出世競争に敗れたことが分かった時点で、モチベーションを失ってしまう従業員も出かねません。分かりやすい例を挙げると、陸上競技の世界選手権の予選を考えてみてください。優勝候補の選手は、予選で全力疾走をしません。他の選手も、予選敗退が決まった時点で力を抜いてしまうでしょう。つまり、予選の段階では全体のパフォーマンスは最大化せず、世界記録が出るというようなことはないのです。順位のみが大切だというような試合では、順位さえ確定してしまったら、絶対的なパフォーマンスはどうでもよいのです。これと同じようなことが昇進競争で起こる可能性があるというわけです。


では、昇進構造において、上記で挙げたように全体として従業員が努力をセーブしたり、出世競争のために同僚の邪魔をするような事態が起こってしまうのを防ぐにはどうすればよいのでしょうか。1つの解決策は、ポジションの空席を埋めるのにすべてを内部昇進で賄わず、外部労働市場からの人材採用で賄う可能性を残しておくことです。これは、内部の従業員同士の相対評価に対して、昇進のための絶対評価を導入するような効果があります。つまり、従業員が努力をセーブしたり同僚の邪魔をすることによって全体の職務成果が上がらないのであれば、絶対基準を満たしていないということで誰も昇進させない。代わりに、外部から、より高い成果を生み出す従業員を新規採用するということです。ただし、外部からの新規採用人材は、企業特殊的人的資本を有していないため、企業特殊的人的資本を有している従業員よりも仕事をして成果を高めるうえでは不利な状況に置かれることは念頭におく必要があるでしょう。そのためには、内部の従業員よりもかなり優秀な人材を外部から獲得するという企業努力が必要でしょう。


最後に、日本的雇用慣行の三種の神器の1つである年功序列について考えてみましょう。年功序列制度は、勤続年数の増加とともに昇進し、昇給する仕組みであると言えます。同時期に入社した従業員がほぼ全員昇進(昇格)していくような意味では特殊な昇進構造といえますが、このような仕組みにも実は優れたインセンティブ効果、すなわち従業員の努力を引き出す効果があることが理論的に導かれます。むしろ、日本企業の過去の成功は、年功序列によって従業員の献身的な努力を引き出すことにあったといっても過言でないかもしれません。自動的に昇進・昇給していくのならインセンティブ効果などないのではないかと思うかもしれませんがそうではありません。


実は、年功序列の下では、入社したての若い社員は、自分の人材価値よりも少ない報酬を受け取って、残りを企業に預金するような仕組みになっているのです。若いうちは昇給していきますが給料の絶対水準が低いので、計算上は、もらっていない報酬分がどんどんと企業内に積み立てられます。それをいつ引き出すのかというと、年齢が高くなって知力、気力、体力が衰え、人材価値が低下していったときです。そのような状態になっても、企業に預けておいた未払い分を取り崩すことで、年功序列の昇給を維持できるのです。つまり、年を取って人材価値が下がっていっても給料は上がり続けるというように、定年まで安定的な昇給を確保することができるのです。これはすなわち、定年まで働くことなく途中で退職すると損をする仕組みになっているのです。解雇やリストラされてはたまりませんので、「辞令一本でどこにでも行く」忠誠心が従業員に植え付けられます。また、企業が倒産などしたりして自分が預けてある貯金がなくなってしまっては身も蓋もありませんので、企業との運命共同体意識が高まります。また、企業が成長して昇進のポジションの数が増えたり、報酬原資が増えれば、自分が将来受け取る報酬も増えることが予想されます。つまり、預けていたお金が増殖して返ってくるということです。ネズミ講を想像してみてください。企業規模が大きくなるということは、階層が増えて昇進の機会が増えることと、自分よりも下位の従業員が増えて、ピラミッドの上層部に行ったときに自分の将来の給料を捻出するための原資が増えることを意味しています。ですので、いわゆる日本の「サラリーマン」は、企業戦士として、企業の発展のためにあくせく働くインセンティブが生じていたと考えられるのです。それが長期的には自分自身の収入を最大化することにつながったからなのです。