パーパス経営を成功させる経営指標とはどんなものか

組織マネジメントの観点から見た場合にパーパス経営の成否を握るのは、組織で働く人々がそのパーパスを自分ごととして捉えてその実現に向けたモチベーションを高めることができるか否かだと言えましょう。そして、それが可能となる条件は、企業のパーパスやミッションと、自分が日常やっている仕事とのつながりがクリアになり、自分の担当している仕事が真に重要であると納得でき、その結果として「仕事のやりがい」を感じることができることです。すなわち、企業の存在意義であって究極的な目的であるパーパスもしくはミッションが、組織で働く人々一人ひとりの仕事のやりがいという形でリンクしていることが重要なわけです。

 

Beer, Micheli, & Besharov (2021)は、上記のように企業のミッションと働く個人の仕事のやりがいをつなげる重要な媒体もしくは経路として、経営指標のあり方、経営指標を用いた実践の仕方に着目しました。企業経営を行っていく上で経営指標は必要不可欠です。これまでにも、KPI(重要業績評価指標)やBSC(バランススコアカード)などの経営指標が提唱されてきています。ただし、パーパス経営を成功させるような経営指標のあり方やその運用の仕方と、パーパス経営を失敗させるような経営指標のあり方やその運用の仕方があるだろうということなのです。これに関してBeerらは、実在する企業2社の詳細な質的研究を実施することで、以下のような発見を行いました。

 

まず、Beerらは、経営指標が働く人々の仕事のやりがいを高めるか否かについての3つの要素(経路)を特定しました。1つ目は「実践的経路」で、経営指標の実践のあり方が仕事のやりがいに影響するという経路です。2つ目は「実存的経路」で、経営指標の中身が仕事のやりがいに影響するという経路です。3つ目は「関係的経路」で、経営指標の絡む対人的相互作用が仕事のやりがいに影響するという経路です。これらの3つの経路がうまく働く場合、仕事のやりがいが高まり、これらの経路がうまく働かない場合、仕事のやりがいは高まらないということになります。

 

実践的経路では、経営指標を測定したり報告したりする実際の運用場面において働く人々の負担が大きかったり、実際に測定して提供される指標が、人々の働きぶりを改善することにあまり役に立たなかったりする場合、人々は、自分の仕事が役に立っているのか、うまく進んでいるのかが分からないだけでなく、経営指標の運用が自分の仕事の邪魔になるため、仕事のやりがいを高めることに繋がりません。一方、経営指標の測定や運用が、人々が日常行っている仕事の進捗に関する有意義な情報を提供し、本人の学習や成長を促したり、仕事ぶりを改善することに役立つ場合、本人は、重要かつ価値のある仕事を実践できていることが実感できるので、仕事のやりがいが高まります。

 

実存的経路では、そもそも経営指標で測定している内容が、企業のミッションが実現できているのかどうかに関する情報を提供しない場合、あるいは、組織で働く人々が、企業のミッションの実践に貢献できているのかどうか分からない場合には、人々は企業のミッションの実践度合いが分からないのと、それに対する自分自身の貢献が分からないので、仕事のやりがいが高まりません。一方、経営指標が、企業のミッションが実践できているかどうかの進捗度合いを的確に示すような指標である場合、そして、その進捗に人々が貢献している度合いが示されている場合には、人々は日常で自分が行っている仕事と企業ミッションの実践とのつながりが明確になるので、仕事のやりがいが高まります。

 

関係的経路では、経営指標の作成やその運用において、組織で働く人々からのインプットや対話が許されず、淡々と測定や報告が行われる場合、組織で働く人々は、組織ミッションの実現度合いの測り方や、運用の仕方、結果の解釈などにおいて自分達の意見が反映されないため、自分達は組織からあまり尊重されてないと感じます。よって、仕事のやりがいが高まりません。一方、経営指標の作成や運用において、組織で働く人々の発言機会が多く、彼らの意見が取り入れられ、運用においても、結果を見た上でどうすれば良いのかの人々の対話が活発化したりするならば、組織で働く人々は、仕事を通じて企業ミッションの実現に積極的に関与・参画しているという意識が高まるため、仕事のやりがいが高まります。

 

以上をまとめると、Beerらが明らかにしたのは、パーパス経営、ミッション経営を成功させるための経営指標というのは、単に何を測るか(それも当然大切であるが)だけの問題ではないということです。何を測るかというのは、Beerらによる実存的経路に相当するわけですが、それだけでなく、どう測り、どうそれを使っていくのか(実践的経路)、指標の作成や運用のプロセスで、組織内において積極的な対話や意見交換がなされるか否か(関係的経路)、そしてそれが経営指標や経営そのものの改善に活かさせるかどうかが大事だということなのです。

参考文献

Beer, H. A., Micheli, P., & Besharov, M. L. (2021). Meaning, Mission, and Measurement: How Organizational Performance Measurement Shapes Perceptions of Work as Worthy. Academy of Management Journal. https://doi.org/10.5465/amj.2019.0916

 

 

生命科学から学ぶダイバーシティ・マネジメント

高橋(2021)は、生命科学の研究者として、そしてベンチャー企業の経営者として、「生命の原理や原則を客観的に理解した上で、それに抗うことで主観的な意志を生かして行動できる」と説きます。そうすれば、自然の理に立脚しながらも希望に満ちた自由な生き方が可能になるというのです。今まさに新型コロナウイルスと戦っている時代の真っただ中にいますが、私たちの世界では次々と課題が現れます。そのような世の中で絶望しないために、課題を解決し続ける状態を維持することが大切だと高橋は言います。次々に現れる課題に諦めず、思考して行動することで、人類は常に前進することができるのだというのです。

 

高橋は、このような考え方を、予測不能な未来に向けて組織を存続させるにはどうすればよいかについても展開させています。つまり、これまで変化を前提としながら進化し、生存してきた生命に関する知識を、組織や会社づくりに応用することで学べることは多いというのです。高橋が自らの会社経営で参考にしていることの1つは、「多様性の本質は同質性にある」ということです。一見矛盾した命題ですが、何が違うかという差異に注目すると同時に、何が同じかという点にも注目しないと、多様性(ダイバーシティ)の本質を見失うことになるというのです。

 

高橋によれば、多様性を考えるには、差異の前提となる土台が必要です。それが同質性ということになりますが、企業でいえば、まずはある目的を達成したいと考える「同質性」を持つものをまず集め、多少の環境変化にも対応できる手段として多様性を確保するというのが本来の意味での多様性のありかただといいます。すなわち、企業にとっての目的とは、企業理念や企業文化に賛同した人たちとともに社会的価値を生み出していくことであり、その目的に賛同しているという「同質性」を前提(土台)として、年齢・性別・国籍・人種などに関係なく、異なる才能や背景を持つ人たちが集まることこそが真の意味での多様性(ダイバーシティ)だというわけです。

 

また、生物における多様性の本質は、多様な生物種があることで生命全体として生存確率を上げていることだと高橋は説明します。どのような環境変化があるのか、あるいはどのような変異が環境に適応できるのか、事前に予測したり意図をもって作り出したりすることはできないため、とにかくあらゆる可能性を試すしかないということです。ある種が絶滅するなどの失敗を寛大に許容し続ける生命の様子は「失敗許容主義」と表現できるといいます。多様性を作り出すことや失敗許容主義は、短期的にみると非効率的な戦略に見えますが、長期的には効率の良い生存戦略となると高橋は論じます。これは企業が生き残る戦略のヒントとなるでしょう。

 

さらに、生命において変化する方法は2つあり、1つは「個体としての成長」で、もう1つは「種としての進化」ですが、これは企業にとっての「既存事業の売上増」と「新規事業の立ち上げ」の2つの手段とよく似ていると高橋は指摘します。事業は一定期間順調に成長しても、S字曲線が示すように、生命の仕組みでは個体は無限に成長せず、やがて老いていくのと同じように、単体事業で成長し続けることはなく、事業には寿命があります。よって企業は、新規事業の立ち上げを通じて新たなものを作り出し、多様性を維持することが、全体の生存確率を高めることにつながるというのです。

 

そして高橋は、空間軸や時間軸における多様な視点を使い分けること、客観的な情報を大切にしつつも主観を重視することの重要性を唱えます。まず、生物は「個体として生き残り、種が繫栄するために行動する」という特徴から視野が狭くなりがちであること、そして私たちは脳の学習機能によってどうしても過去の経験に影響を受けがちであることを指摘し、純粋に物事を受容する「フラットな視点」を持つこと、広くも狭くも自由に視野を設定する能力を身に着けることが重要だといいます。

 

経営に関して言えば、経営理念やミッションは滅多に変化させてはならない一方で、戦略や戦術は状況に応じて短期間で柔軟に変えていくことが可能です。また、新しい技術や戦術を導入するのにかかる時間と、組織体制を変えるのに必要な時間は異なります。つまり、企業にも複数の時間軸が存在するので、その前提に合わせて動いていく必要があると高橋はいうわけです。また、組織内や取引先との認識のずれや意思疎通での問題は、思考枠としての視野が共有されていないことによることが多いので、視野を共有すればほとんどの問題は解決するといいます。

 

そして、ビジネスにおいて客観的な情報は必要だが、特に不確実性の高い環境であればあるほど、過去の情報から客観的に予測する際のエラーが大きくなり、客観的情報の積み重ねだけではたどり着けない未来があるため、主観的な判断が重要になるのだと高橋は論じます。企業経営においてきわめて重要なビジョンやストーリーは、主観から生まれるものであり、新たな課題に対しては新たなストーリーを示し続けることが課題解決のために不可欠であると高橋は主張するのです。

参考文献

高橋祥子 2021「ビジネスと人生の「見え方」が一変する 生命科学的思考」News Picks Publishing

 

組織設計の人事経済学「番外編」ーデジタルトランスフォーメーションはテイラー主義を復権させるのか

今回は、本ブログの人事経済学シリーズのうち「組織設計の人事経済学」の番外編として、デジタルトランスフォーメーション(DX)が、組織設計、職務設計、そして人々の働き方に与える影響について考えてみたいと思います。例によって、ラジアー & ギブズ (2017)を参考に論じてみようと思います。

 

昨今のビジネス経済において最も勢いのあると考えられる企業として、アメリカのGAFAや、中国のBATが挙げられます。これらの企業は、ITやAIなど、いわゆるビジネスや企業のデジタルトランスフォーメーションを最大限に活用し、そこから最大限の恩恵を得ることによって、ビジネスや時価総額で他の企業を圧倒しているように見受けられます。また、2020年に発生した新型コロナウイルス感染症の影響により、多くのビジネスや働き方において在宅化、リモート化を加速させざるを得なかった事情も含め、ビジネスや企業のデジタルトランスフォーメーションはもはや必須の情勢となりつつあるようです。

 

IT、IoT, AI、データサイエンスなどを中心とするデジタルトランスフォーメーションの特徴は、これまでの機械化やオフィスオートメーション化をはるかに超え、人間の頭脳を代替するような仕事をどんどんとIT、IoT, AI、データサイエンスが担うようになることによってビジネスを革新していこうとする点です。では、これらの技術は、企業組織や、職務設計や、人々の働き方にどのような影響を与えるのでしょうか。今回の大きなテーマは、デジタルトランスフォーメーションは、経営学でも最も古い考え方でもあるテイラー主義(科学的管理法)を大々的に復権させるではないかという点です。本ブログでも経済学的視点からこれまで論じたトレードオフの論点を思い出してみましょう。

 

まずは、意思決定や職務設計の論点として、中央集権、集中化、計画重視の設計と、分権化、分散化、改善重視の設計の2つの間のトレードオフがあることでした。とりわけ、前者の集中化・計画化の制約条件となっていたのが、必要な情報を中央に吸い上げ、そこで集中して計画、設計、意思決定をしていくには、いくら優れた人材を中央に配置したとしても、彼らの情報処理能力、認知能力には限界があり、非弱すぎるという点でした。もう一つは、情報伝達コストで、とりわけ現場レベルで発生、獲得される特殊な知識や情報は伝達するのが困難で高コストであるという点でした。そのため、VUCAと呼ばれるように、とりわけ変化が激しく、複雑で、不確実で、曖昧なビジネス環境では、中央集権、集中化、計画重視の設計は分散化には太刀打ちできないということでした。

 

しかし、よく考えると、デジタルトランスフォーメーションというのは、上記に挙げた、中央集権、集中化、計画重視を実行するうえでの制約条件をうまく解決できる方向で進化しているということが分かります。つまり、情報を中央に集中させて計画、設計、意思決定を行うような、複雑な計算を伴うような頭脳的作業をスーパーコンピューターのようなものが可能にしてくれるということ、そして、あらゆる情報がデジタル化の方向に進むことによって、情報伝達コストが格段に下がり、あちこちに局在している現場レベルの情報であっても低コストで中央に集中させることが可能になっていることです。あらゆる情報を集中させてビッグデータを作り、そこからデータマイニングなどの分析を通じてもっとも経済合理的かつ利益を最大化する解を見つけ出すことこそ、AIやデータサイエンスが今後もっとも能力を増強させていくであろうということなのです。

 

上記の現象は、まさに、最も古典的な経営学の思想でもある「テイラー主義(科学的管理法)」の復権を意味しているとは言えないでしょうか。囲碁であろうが将棋であろうが人間の叡智を打ち負かし、人間の身体や頭脳が有する限界をはるかに超えた、超人間的な計算能力をもつAIが、広範囲かつ複雑な業務活動をうまく調整し、もっとも科学的で、経済合理的で、利益を最大化するような解を見つけ、適切な指示を各方面に送ってくれるというわけです。そして、AIの活躍を可能にするような情報インフラ、すなわちAIそのもののパワーアップに加え、あらゆる業務のデジタル化や情報伝達のますますの進化が、その傾向を加速させるわけです。そして、これらを最大限に活用できている企業が、組織の規模拡大の限界点をも超えて拡大を続け、世界経済を席巻するのかもしれません。

 

上記の議論のイメージがしやすいように、車の運転の歴史を取り上げて考えてみましょう。ここで、車を運転することを「仕事」だと捉えると、これまでどうなってきたのでしょうか。昔は、車の運転の知識、情報、技術を完全にドライバーにゆだねるしか方法がありませんでした。例えば都市部の交通を管理するうえで中央集権的にできることといえば、交差点での信号の整理や道路標識、地図の提供といったものです。交通渋滞を防いだり、交通事故を防ぐには、ドライバーがしかるべき運転技術を身に着け、地図などを頼りに抜け道などを記憶し、状況に応じて道順を変えたりスピードを変えるなどの対応が必要だったわけです。これは、集中化、計画化による交通整理はほとんど無理で、権限を委譲し分散化されたシステムでドライバーにゆだねることで調整を図るという業務システムだったといえるでしょう。この場合、末端の現場にいるドライバーの運転技術や知識が最も重要だったわけです。

 

しかし時代が変わり、テクノロジーの進展とともに、カーナビが進化しました。多くの車でカーナビが標準装備され、ドライバーは地図や抜け道の知識や、運転しながら状況に応じて道順を変えたり抜け道を探すといった作業が軽減されました。悪い言葉でいえば、言われたとおりに仕事をすれば、各ドライバーは最短時間で目的地にたどり着き、全体としての交通整理も実現するというわけです。これは、IT技術の進化によって、以前よりも中央から集中的に交通を管理することが可能になり、その分、各ドライバーの運転技術や知識の重要性が低下したといえるでしょう。現代のドライバーは、運転前に地図の細かい部分を頭に叩き込まなくても、あるいは素晴らしい助手を隣に配置しなくても、運転できるようになったのです。いまやマニュアル車はほとんどなく、AT社が当たり前。また、ドライブレコーダーやカメラなどの進化で、車庫入れや縦列駐車、運転トラブルなどの負担も軽減されるようになってきました。

 

そして、これからの車の運転はどうなるでしょうか。おそらく自動運転が現実化してくるでしょう。自動運転になれば、ドライバーの運転技術や道路知識、柔軟な対応などはほとんど必要なくなります。あらゆる情報、例えば、地図の情報のみならず、今乗っている車のコンディション、ガソリンの状態までもが、衛星などを通じて集中管理され、中央から車自体に直接指示が飛び、それに従って車が走る。それによって、それぞれの車は円滑に目的地にたどり着き、交通渋滞も緩和されるわけです。これは、人間の身体や頭脳だけでは不可能な中央集権・計画的管理そのものです。低コストで情報を中央に集中させる情報インフラ、そして膨大な情報から適切な指示を各車に送ることができるAI、これらのタッグにより、人間の頭脳の限界や情報伝達コストの限界を優に超えた業務システムが出来上がったといえるわです。これこそ、テイラー主義復権といえるのではないでしょうか。

 

 ただ、だからといって、未来のドライバーは全く自由を失い、AIの言いなりになってしまうのかといえばそうとも言えないでしょう。つまり、ドライバーがAIなどに仕事を奪われて失業してしまうのかというと、そうでもないだろうということです。運転技術や地図の知識は必要なくなったとしても、周辺情報や逆に中央から提供される分散型情報などを活用し、より安全かつ快適な移動経験が実現するよう、工夫をしていくことができるでしょう。まさに、私たちが、計算機の知識やプログラミングの技術がなくてもスマホやPCを使いこなして仕事ができるようになったように、将来のドライバーは、必要な技術や知識、そしてドライバーとしてこなすべき役割を変えつつも、新たな役割や仕事を通じて安全かつ快適な交通に寄与していくことが期待されるのです。

 

上記の車の運転のイメージを念頭に本題に話を戻すならば、デジタルトランスフォーメーションが進展することにより、テイラー主義(科学的管理法)は復権し、ビジネスを成功させるうえでの威力を増しつつも、同時に、本ブログで紹介したような分権化、分散化、継続的改善のメリットも取り入れることで、より進化した組織構造、業務構造、職務設計、そして働き方が実現していくことが期待されるといえるでしょう。良くいわれるように、デジタルトランスメーションやITの進化は、ある面では、人間がこれまでやってきた仕事をテイラー主義に基づいて代替していくことになりますが、一方で、AIやITは私たちの仕事を補完するという点に着目し、AIと人間が協力しながらより暮らしやすい世界を築いていくことを期待しましょう。

 

参考文献

エドワード・P・ラジアー, マイケル・ギブス 2017「人事と組織の経済学・実践編」日本経済新聞出版社

組織設計の人事経済学3ー最適な職務設計を通じて人材と組織のパフォーマンスを最大化する

本ブログの人事経済学シリーズでは、人材や組織が経済合理性の原則にしたがって行動することを前提に、優れた人材の獲得と活用を可能にする人事管理と、人材活用の制約条件となりうる組織構造の効果的な設計を通じた組織のパフォーマンスの最大化について理解してきました。今回は、人材と組織をつなぐもっとも重要かつ基本的な単位である「職務(仕事、ジョブ)」について、例によってラジアー & ギブス (2017)を参考に考えてみたいと思います。

 

職務とは、組織として製品やサービスなどのアウトプットを生み出すのに必要なさまざまなタスクを束ねて、人材がそれを担当できるようにパッケージ化したものです。組織がアウトプットを生み出すために職務が存在し、その職務を遂行するために従業員が雇用されます。日本の社会では就職ではなく就社といった「メンバーシップ型雇用」が支配的だという見方がありますが、世界の多くでは、特定の職務遂行のために雇用契約を結ぶという「ジョブ型雇用」が主流です。職務は人事管理上もっとも基本的な概念といえるのです。

 

重要なのは、この「職務」をどのように設計するか、言い換えれば、どのようにタスクをまとめて1つの職務にしていくかが制約条件となって、人事管理の効果性や組織のパフォーマンスに影響を与えるということです。例えば、職務設計のあり方が、企業が募集や採用を行う際の制約条件となります。設計された仕事が労働市場に存在する人々が保有している知識やスキル(人的資本)とマッチしていなければ、良い人材を獲得できません。例えば、日本企業が、新卒採用の時の募集職種の設計の仕方(総合職、技術職など)と、中途採用の時の募集職種の設計の仕方(販売マネージャなど)を違うものにしているのは、募集の対象となる労働市場が異なり(新卒採用市場と中途採用市場)、それぞれの労働市場に存在する人材の人的資本の特徴が異なるからにほかなりません。

 

また、職務設計は、人材が能力を発揮して組織のパフォーマンスに貢献する際の制約条件にもなります。職務遂行時の作業方法が細かく決められていて従業員側に自由度がない場合は、その職務のアウトプットの上限が決まってしまい、それを超えたパフォーマンスを生み出すことはできません。逆に、職務遂行の自由度が高く、創意工夫が可能な場合、大きなイノベーションにつながることさえあるでしょう。職務の特性が従業員の労働意欲に与える影響も、パフォーマンスを規定する制約条件として無視できないでしょう。単純な仕事は虚無感を生み出しかねませんが、やりがいのある仕事は内発的動機付けを高めます。そして、組織設計でも触れたとおり、職務におけるタスク間の関係や職務間の関係は、業務の効率性、経済性と関連し、事業のオペレーションを通じた組織のパフォーマンスと直接的に関連しているともいえましょう。

 

では、この職務設計における経済学的な基本原則とは何でしょうか。ここでは、経済学に特徴的な、トレードオフの関係に着目して最適点を探り出すという視点から、大きく2つを紹介します。1つ目は、本ブログの組織構造の設計でも紹介した、専門化と調整とのトレードオフの視点、2つ目は、 意思決定構造で紹介した内容とも絡む、テイラー主義と職務拡充・継続的改善とのトレードオフの視点です。まず1つ目の視点についてですが、これは、タスクを専門化するほど効率は上がるが、その分、タスク間の調整コストも上がるというトレードオフを考慮するということで、相互依存性の高いタスク同士、補完性の高いタスク同士をまとめることで調整コストが最小となるようにタスクを束ねて職務を設計することになり、モジュール化の原理を活用することになります。

 

ただ、職務というのは通常、1人の従業員が担当する範囲になるので、どこまで束ねるタスクの範囲を広げるかという論点も重要です。これは、マルチタスク化を進めるかどうかということです。マルチタスク化を進めるかどうかについても、そのメリットとデメリットというトレードオフを考慮する必要があります。マルチタスク化を進めるということは、1人の人材が狭い範囲の仕事に専門特化することで得られる効率性のメリットを犠牲にしつつ、1人の人材が複数のタスクをこなすことで異なるタスク間の調整コストを下げることを選択するという判断になります。マルチタスクであれば、異なる職種間のコミュニケーションが円滑になる、あるタスクをこなす人材が欠勤したときに他のメンバーが対応できるなどのメリットもあります。また、マルチタスクのほうが高い能力を必要とするので、どのような人材を労働市場から調達しようとするのかともかかわってきます。

 

次に、職務で行うタスクのスケジュールや手順を、職務設計の段階であらかじめ決めてしまって、従業員は決められたことをするだけで企業のパフォーマンスが高まるように設計する方法があります。これは、経営工学エンジニアやコンサルタントなどの高度な頭脳を結集し、集中化と計画を重視し、中央集権的に職務を設計し従業員に職務遂行させる「テイラー主義(科学的管理法)」だと考えられます。一方、現場の従業員に権限を委譲し、マルチタスクや判断・意思決定、作業スケジュールや手順の決定などの分散化を通じて、現場レベルでの継続的な改善を期待する方法があります。こちらは、マルチタスク化など職務範囲と意思決定権限を拡充するという意味で、職務拡充主義と考えられます。

 

テイラー主義と職務充実主義のどちらを採用するのか、あるいはその中間のどのあたりに落ち着かせるのかについては、こちらも意思決定構造で解説した中央集権・計画型と分権・分散型とのそれぞれのメリットとデメリットを考慮したトレードオフの検討によって導かれると考えられます。一般的には、組織規模が大きく、業務構造が複雑でなく、事業が安定しており、環境や将来が予測しやすい場合には、テイラー主義に基づく集中化・計画化によるタスクの専門化とタスク間の調整を通じた職務設計のメリットが高まります。その逆の場合に、現場に権限を委譲し、現場の特殊知識・情報を用いて継続的な改善を指向する職務拡充主義のメリットが高まります。古くは自動化、オートメーションの発展により、そして昨今のデジタルトランスフォーメーションの発展により、テイラー主義を用いて設計することが効率的な職務の多くは、将来、機械、ロボット、AIなどで置き換えることが可能なものだといえましょう。また、従業員の内発的動機付けを高めるという視点からは、テイラー主義よりも職務拡充主義が優れていることは周知のとおりです。

 

現実の企業においては、その企業が有する異なる事業の特徴の違いや、異なる業務・職能の特徴の違いに基づいて、テイラー主義と職務拡充主義を使い分けている、すなわち共存させていると考えてよいでしょう。例えば、日本の主要メーカーの製造現場というのは、テイラー主義的な集中管理で品質や生産性を維持すると同時に、QCサークルのような継続的な改善も同時に行ってきたことで競争力を高めてきたのだと解釈することができましょう。

 

参考文献

エドワード・P・ラジアー, マイケル・ギブス 2017「人事と組織の経済学・実践編」日本経済新聞出版社

組織設計の人事経済学2ー経済合理性に基づいた組織デザインでパフォーマンスを最大化する

企業は、優れた人材を獲得し、それらの人材を活用することで組織のパフォーマンスを最大化しようとします。しかし、企業が優れた人材を活用して組織パフォーマンスの向上につなげられるかどうかを左右する大きな制約条件として、「組織の構造」が挙げられます。組織がどのように構造化されているかによって、人材が実力を発揮して組織パフォーマンスが高まるケースと、逆に、いろいろと人事管理を工夫して一所懸命働いてもらうようにできても組織パフォーマンス向上につながらないケースなどが出てきてしまうのです。今回は、ラジアー & ギブス (2017)を参考に、どのように組織構造を設計するのが、人材を有効活用し、企業業績を最大化するうえで経済学的に合理的なのかについて解説します。

 

そもそも、人間が集まって仕事をするようになったのは、それぞれが役割分担をして自分の得意な分野に特化し、そしてお互いに協力しあって働くほうが効率がよく生産性が高いからです。小さな集団であれば、集団全体が見渡せる中、インフォーマルなコミュニケーションやリーダーシップを通じてメンバーが足並みをそろえて働くことが可能であり、それが集団運営のコストもかからずもっとも効率的なわけですが、集団や組織が大きくなるにつれて、だんだんと全体が見渡せなくなり、そのような柔軟な集団運営ができなくなってきます。そこで、多少のコストをかけてでも、組織内に階層を作って公式な責任権限を明確にし、ルールによって人を動かす必要が出てきます。さらに、仕事間の調整も難しくなってくるので、組織を分割して管理をしやすくすることも必要になってきます。

 

このように、組織規模が大きくなるにつれて、意識的に組織構造を設計し、ある意味「自動運転」ができるようにしなければなりません。その方が場当たり的に組織を運営するよりも安定するし効率的になるからです。そこで、組織構造を設計する際には、企業業績を高めるうえでもっとも経済合理性がある方法で行う必要が出てきます。つまり、組織設計の経済原則に沿ったかたちでの組織デザインが求められるのです。このような組織設計の経済原則については、もっとも単純化すれば次の2つの要素のトレードオフという制約条件から最適解を得るということに集約できるでしょう。1つめは、専門化して分業体制を敷くほど、それぞれの仕事の効率が上がること。もう1つは、専門家や細分化を進めるほど、足並みが揃えるのが難しく、仕事間の調整が複雑になって効率が下がることです。市場であれば「見えざる手」のメカニズムで調整するわけですが、組織の場合は、市場原理も取り入れつつも、基本は責任権限の階層化とルール化という「見える手」で調整を行うことになります。

 

組織が大規模化するほど、専門化と調整という2つ要素によるメリットとデメリットの規模も大きくなります。また、組織が大規模化するほど、規模の経済や範囲の経済が企業業績を押し上げる方向に働く一方で、間接人員の増加や規則やルールの運用などの管理コストの増加が企業業績を押し下げる方向に働きます。これらのトレードオフの関係を十分に理解し、専門化や大規模化のメリットを最大化させ、管理や調整のデメリットを最小化するような組織構造の最適解を導きだすことができれば、理論上は組織のパフォーマンスが大きく高まることが予想できます。組織構造の設計はそのような考え方でなされるのが経済合理性にかなっているというわけです。

 

では、もう少し具体的な組織構造の設計の原則について見ていきましょう。まず、大きく複雑化したために場当たり的な運営が難しくなった組織を、小さな単位に分割して管理しやすくする必要があります。ここでの問いは、どのように組織を分割すれば、効率や生産性が最大化し、管理コストが最小化するかです。ここでの原則は、まず、専門化を推進して同じような機能や職能をまとめれば、先輩から後輩への知識移転や集団での人材育成が効率化するといったような規模の経済を享受することができること、それから、相互補完性が高いためシナジー効果がみられる仕事同士、そして相互依存性が高く密接に関連している仕事同士をひとまとめにして括るほうが、生産性向上のメリットと調整コストの節約につながるということです。調整が必要な仕事が組織横断的に広がっていれば調整コストが高くついてしまうので、それを防ぐわけです。

 

上記の経済原則を端的に示すのが「モジュール化」という発想です。モジュールとは、特定の機能をもったまとまりで、お互いに相互依存性が低く独立性が高いので、モジュール間の調整が容易です。製品例でいえば、PCを構成する各部品がそれにあたり、部品のモジュール化の進展でPCの値段が劇的に低下したとも考えられます。部品間の調整が容易なので、同じ性能でももっとも安価な製品を見つけてきて組み合わせれば価格が下がるのです。一方、部品間のすり合わせ、すなわち調整が必要不可欠な製品はインテグラル型と呼ばれ、開発の際のすり合わせ(調整)のコストがかかるので価格が容易に下がりません。話を戻すと、組織設計においても、モジュール化の発想に基づき、モジュール内の密接性・相互依存性は高く、モジュール間の独立性が高いような形で行うことが経済的に理にかなっているということです。

 

これまで紹介してきたような経済原則を念頭に置くならば、単一事業で組織が中規模な企業の場合、営業部門、生産部門、管理部門といった部門で構成される職能別組織が各種トレードオフを考慮した最適解になることが分かります。組織を機能別に分割することで、それぞれの専門性が高まって効率性があがり、機能部門内の規模の経済が働くことで知識共有や人材教育の効率も上がり、単一事業、中規模のため組織の上位層による機能間の調整にも大きなコストがかからないという特徴があるからです。しかし、事業が多角化・複雑化し、組織規模がさらに大きくなると、調整コストが機能別集約のメリットを上回るようになり、機能別組織はトレードオフの最適解ではなくなってきます。機能別部門の規模が増大しすぎて管理コストが上昇するのと、事業が複雑化することで組織の上位職層による機能間の調整が難しくなってくるからです。

 

そこで、組織の成長に伴う機能別組織の次の段階として、事業部制組織が各種トレードオフの最適解となってきます。例えば、製品別や顧客別、地域別といった形で組織を分割することで、同一製品における販売、生産、管理など相互依存している業務同士を束ねることによるシナジー効果の発揮と調整コストの節約が可能になります。また、肥大化して管理しにくい機能別部門の代わりに、ミニ会社のような事業部を設定しその下に機能別に部署を配することで、先にみた中規模の機能別組織の会社を運営しているのと同じ状況となりますので、単一事業かつ中規模では機能別組織が最適解であるという経済合理性と一致します。また、製品、顧客、地域など、何を基準に事業部を括ればよいかについては、事業部間の相互依存性、調整コストが最小化するように括り方を決定するという経済原則を適用することできます。事業部長がミニ社長の仕事をすることによる経営人材育成の効果も見込めるでしょう。

 

ただ、事業部制を採用しても、事業部間の相互依存性が高まってきたり、今度は、機能別組織のメリット・デメリットと、事業部制組織のメリット・デメリットがトレードオフの関係にあるというようなことが、組織構造の設計でのさらなる課題として出てきます。例えば、事業部制組織にすれば、研究開発部門は事業部横断的に分散されてしまうが、研究開発部門のみに限っていえば集中化させることによる規模の経済の効果が大きく、機能別組織であるほうが望ましいケースも出てきてしまいます。そこで、企業としては、機能別組織と事業部制組織の特徴を組み合わせることによって、それぞれのトレードオフから最適解を導くように組織構造を設計するのが合理的な選択となります。具体的には、製品別事業部制を敷きながらも、研究開発部門のみについては事業部から切り離して集中化させる、マトリクス型組織を採用し、機能別と製品別の2つのラインを交差させる、部門横断的なタスクフォースやクロスファンクショナルチームを設定してややインフォーマルな、あるいはテンポラルな方法で事業部間の調整を図るといったものが考えられます。

 

このように、組織構造の設計というのは、教科書的に分類されている機能別組織、事業部制組織、マトリクス型組織などの基本型と、ネットワーク型組織や部門横断的タスクフォースなどよりインフォーマルかつテンポラルで柔軟な手段を組み合わせることによって、各種トレードオフの最適解として組織パフォーマンスが最大化させるように行うというのが、経済合理性にかなった鉄則であるといえるでしょう。ですから、おかれている環境や事業の特徴が異なる各企業にとっての最適な組織構造というのは、機能別組織だとか事業部制だとかに単純に分類できるわけではなく、いろんなものが組み合わさって、その企業に固有の構造になっているだろうし、経済学的にもそうあるべきだといえるのです。

 

参考文献

エドワード・P・ラジアー, マイケル・ギブス 2017「人事と組織の経済学・実践編」日本経済新聞出版社

組織設計の人事経済学1ー組織パフォーマンスを最大化する意思決定構造

人事管理で重要なのは、自社にとって必要な人材を獲得し、その人材を活用して企業業績を最大化することです。そのために、過去の人事経済学シリーズでは、募集と採用選考教育投資と人材維持、そして報酬・昇進・評価について解説を行ってきました。しかし、いくら優秀な人材を獲得し、その人材に教育投資をし、インセンティブを与えても、アウトプットを生み出すための組織や職務が社内にいる人材の能力を最大限に活用できるように設計されていなければ企業は業績を最大化することはできません。そこで今回は、組織内の人材を活用しながら、組織パフォーマンスを最大化するためにはどのような意思決定の構造が求められるのかについて、組織を経済システムになぞらえるかたちで経済学的な視点から考えてみたいと思います。今回も、例によってラジアー&ギブス(2017)を参考にします。

 

経済学的アプローチとは、企業にせよ、人材にせよ、平たくいえば損得勘定に基づいて自分が得をするように行動するという目的合理性を前提とし、それが環境における様々な制約条件やトレードオフに直面した際に、どのように行動し、どのような結果をもたらすのかを理解することでした。このような考え方に基づき、今回はどちらかというと企業の視点に焦点を当て、組織のパフォーマンスを最大化するための意思決定の仕組みをどのように設計するのかを理解することにします。何の制約条件もなければこれは簡単なことで、組織内に存在する情報を最も効果的に活用することで最善の意思決定を繰り返せばよいだけの話です。しかしそこには非現実的な前提が含まれており、それが今回考える制約条件に値します。その前提とは、意思決定をする人間が全知全能であること、そして、組織が意思決定するために必要な組織内の情報が瞬時に利用可能であることです。

 

上記の2つの前提が、今回焦点を当てる、2つの制約条件に値します。それらは、組織で雇用した人材の能力(情報処理能力)と、情報を扱うコスト(情報伝達コスト)です。まず、人間の情報処理能力には限界があります。経済学では、限定された合理性という概念で表現したりします。よって、組織で働く人々の情報処理能力の限界という制約条件を受け入れつつ、無理なく彼らの情報処理能力を活用して意思決定するととができるように意思決定構造を設計することが重要になります。つぎに、意思決定に重要な情報は組織内のあちこちに散らばっており、組織内に局在する人材によって保有されていたりします。良質な意思決定のためにこれらの情報を伝達するには時間やコストがかかることを考慮する必要があり、この制約条件を受け入れつつ、最良な意思決定をするための構造を設計する必要があるわけです。

 

では次に、組織を一国の経済システムになぞらえて意思決定の優劣について考えてみましょう。過去には、市場メカニズムを基本した経済活動を行う資本主義国家と、中央集権的な計画経済を採用する社会主義国家とがありました。しかし、20世紀末のソビエト連邦の崩壊により、中央集権的な計画経済が劣っていることが露呈しました。これは、国家レベルでは中央集権的な計画経済が意思決定の面でも劣っていることを意味しています。ではなぜ、市場メカニズムを重視する資本主義経済のほうが意思決定の面でも優れているといえるのでしょうか。それには、アダムスミスのいう「見えざる手」が関連しています。つまり、市場メカニズムというのは、中央の存在しない完全に分散化された個々の意思決定(例、売買)を基本としていても、国家(あるいは社会)全体として富が最適配分されるような意思決定をしていることに等しい結果を得ることができるというわけです。まさに「見えざる手」なのですが、メカニズム的には、取引価格にすべての情報が集約されることで個々の取引主体が自分自身の損得勘定に基づいて取引を行っても、全体としてみると最適な意思決定が実現するという理解になります。

 

もし上記のロジックが正しいとするならば、組織の運営においても、市場メカニズムを最大限に取り入れ、中央のない分権的な意思決定構造を持っていれば少なくとも意思決定という視点においては組織パフォーマンスが最大化することになります。現代風にいえば、完全なるフラット型組織です。しかし、ほんとうにそうでしょうか。経済学的に考えるならば、おそらく、組織にとって最適な意思決定構造というのは、完璧に中央集権的なものと、完璧に分権化されたものの中間のどこかにあるはずで、その度合い(集権か分権のバランスのあり方)が、組織を取り巻く様々な制約条件の状況によって変わってくるということになりそうです。では、どのようにして組織の意思決定パフォーマンスを最大化するような最適解が導かれるのか考えてみましょう。

 

まず、中央集権による計画経済のような組織について考えましょう。この場合、組織で働く人々は、損得勘定に従えば中央からのルールに従うことが最も得をするので、自分勝手なことはせず、規則に従い、計画や意思決定のための情報を中央に伝達します。このような意思決定構造で考慮すべき問題は、中央集権で意思決定をするためには、組織内に局在している情報をすべて中央に伝達するか、さもなくば、無視して意思決定に用いないかどちらかです。前者は情報伝達のコストが組織パフォーマンスを押し下げるし、後者は意思決定の質を下げます。また、情報が中央に集まれば集まるほど、中央で意思決定を行う人材の情報処理の限界を超えてしまい、良質な意思決定ができなくなります。組織内でもっとも意思決定能力の高い人材を中央に集めることが合理的な人材配置となりますが、それでも情報処理能力の限界を超えてしまいます。また、組織の周辺におり重要な情報を有している人材は、それを中央に伝達するのみで自分の情報処理能力を活用することができず、機会ロスにつながります。彼らが能力を活用して重要な情報を扱い、それがイノベーションにつながる機会も失われます。そもそも、中央集権的な組織で働く人々にとって、規則から逸脱する行動は損をすることになりますので、各人材は言われたこと以上の工夫をするインセンティブを有しないのです。よって、これらの問題を解決するためには、組織に市場メカニズムを導入して分権化を進めることで、見えざる手を利用して意思決定の質やイノベーションの発生確率を高めていくことが必要になります。ではどこまで分権化を進めればよいのでしょうか。

 

市場メカニズムを導入した分権化の下では、組織で働く人々は、損得勘定に基づいて自分の持っている情報を活かして自由に意思決定を行います。例えば、局所的であっても良い意思決定をすれば自分の評判(市場でいえば価格)が上がり、収入も増えるので得をします。健全な競争が発生し市場メカニズムが機能すれば、局所的な意思決定は集合的には組織全体にとって最適な意思決定につながります。各人材が自分が得をするように工夫すればイノベーションにもつながるでしょう。では、完全な分権化の問題は何でしょうか。これは、経済学でいうところの「市場の失敗」という状況によって、全体として最も望ましい最適な意思決定につながらないという問題です。そもそも、経済活動がすべて市場を通して行われるのではなく、市場の代わりに組織が存在するのも、それが理由だといえます。市場の失敗の原因の一つが「外部性」です。「ネットワーク外部性」などがありますが、平たくいえば、経済主体同士の取引によって生じるコストや便益を、取引とは関係のない第三者が享受したり負担したりすることになる現象です。外部性が存在すると、組織内における自分自身の活動の損得が他の誰かの活動からの影響を受けてしまうし、自分の活動が他の誰かの損得に影響を及ぼしてしまいます。それから「公共財」の問題もります。こちらも、自分の行動が、第三者の便益に影響を与えるため、市場メカニズムが想定するような効率性が実現しません。これらの問題を防ぐためには、権限を利用して組織内の活動を調整する必要がでてきます。これは、人材の活動の自由を制限するために権限の一部を取り上げ、その権限を使って調整を行うというように、徐々に集権化を進めるプロセスに値します。「規模の経済」という市場の失敗もあります。活動を集中化したほうが効率が良くなるという現象です。これも中央集中化につながる現象です。

 

これまで述べてきたように、完全な集権化と、完全な分権化を比較した場合、それぞれの長所や短所が明らかになるので、組織の取り巻く制約条件を考慮することで、その中間のどこかの地点に、自社の組織の意思決定構造を設計することになります。その判断基準として、ラジアー&ギブス(2017)は、これに関して、以下の4つの論点として整理しています。

  • 中央と現場の知識の双方を効率的に利用すること
  • 必要に応じて意思決定を調整すること
  • 調整された良い意思決定をするための強いインセンティブを与えること
  • イノベーションと適応性を意識すること

 

産業・業界や 組織の規模、業務の特徴などによって、上記の4つの度合いは異なってきますので、各企業は、組織の意思決定パフォーマンスを最大化するために、これらの論点が自社ではどのような状況になっているのかを考慮したうえで、中央集権と分権の間の最適な地点を探しあてることになるのです。

 

また、ラジアー&ギブス(2017)は、意思決定を階層化することで、集権と分権のバランスを考える際に有効であることも述べています。つまり、意思決定は、構想、認可、実行、モニタリングという要素に階層化されているわけですが、いわゆる情報を生み出し、情報を使って実行する段階(構想や実行)では、生の情報に近いところで行う分権化が望ましく、意思決定のプロセスをコントロールするような段階(認可やモニタリング)では、中央で全体をコントロールする集権化が望ましいというわけです。

 

参考文献

エドワード・P・ラジアー, マイケル・ギブス 2017「人事と組織の経済学・実践編」日本経済新聞出版社

経営の本質は「山岳地帯での探検」である2:「両利きの経営」はどのような環境で必要とされるのか

前回の記事では、凹凸地形という概念とNKモデルを紹介し、企業経営の本質が「山岳地帯での探検」であるというメタファーを紹介しました。これは、パフォーマンス(業績)を山に例え、その山々を「視界の悪い山岳地帯」だと理解し、企業は視界のわるい山岳地帯をさまよっている活動家だと捉えるものです。そして、このメタファーを理解するツールとしてNKモデルを紹介しました。NKモデルは、企業が行うN個の意思決定のうち平均してK個の他の意思決定の影響を受ける(すなわち意思決定が相互に依存しあい絡み合っている)と考えるモデルでした。これらの概念ツールを使う際の経営学上の問いとして、企業はどのようにすれば、一番高い山の頂上にたどり着くことができるのか(パフォーマンスを最大化できるのか)、というようなものでした。今回は、その流れにおいて近年脚光が当たっている「両利きの経営」との関連性を説明し、Uotila (2018)によって行われた、どのような環境において両利きの経営が求められるのかについての研究を紹介します。


両利きの経営とは、こちらの記事でも紹介した通り、既存事業の「深堀り」(exploitation)と新しい事業機会の「探索」(exploration)を両立させる経営のことを指します。これを、凹凸モデル上で活動する企業をNKモデルに適用するならば、「深堀り」は、漸進的な改善のような行為を指し、「視界の悪い山岳地帯」において自分が現在いる山を一歩一歩、頂上に向けて登っていくような活動を指します。NKモデルでは主にこのような深掘りを「ローカルサーチ」(近隣の捜索)と呼びます。N個の意思決定のうち、少数の要素の意思決定を変更して様子を見ながら改善をする方法です。一方、「探索」は、大きな変化やイノベーションを求めて、遠くの山々まで探索する活動を指します。NKモデルではこのような探索を「ロングジャンプ」と呼びます。N個の意思決定のうち、多数の要素の意思決定を変更することで大きな変化やイノベーションを生み出そうとする方法です。ローカルサーチは、確実に今いる山の頂上に向かうことができるという長所がある一方で、山自体が小さい場合にそれ以上に高いパフォーマンスが見込めないという短所があります。ロングジャンプについては、大きな山を探り当てる可能性を高めるという長所がある一方で、視界不良の中、うまく高い山が見つからないというリスクもあります。


このように、企業経営を、「深掘り」と「探索」のバランスをどうとっていくかという問題に集約させた場合、Uotliaは、大きく2つのアプローチを対比させました。1つ目は、今回のテーマである「両利きの経営」で、深掘りと探索を同時に行う(両立させる)という経営です。もう1つは、「断続平衡(punctuated equilibrium)モデル」で、むしろこちらのモデルの方が組織変革論では伝統的に支持されてきました。断続平衡モデルは、通常は企業は「深掘り」を中心とした経営を行い、ある時に、急激に「探索」によって大きな変革を行うというモデルです。両利きの経営が、企業は常に既存事業の改良と新規事業などのイノベーションの両方を追求しているので、連続的に変化し続けている存在というイメージなのに対し、断続平衡モデルでは、企業は通常は既存事業の改善を中心とし業務も安定しているが、断続的に大きな組織変革が起きるというイメージになります。Uotliaが発した問いは、「両利きの経営と断続平衡モデルのどちらが、どの状況下において必要なのか」というものでした。この問いに答えるために、NKモデルによる凹凸地形を用いた分析をコンピュータ・シミュレーションを通じて行いました。


上記の問いに答えるためには、企業を取り囲む経営環境を操作する必要があります。これは、企業が活動する「視界の悪い山岳地帯」の特徴を変えることを意味します。Uotiliaが行ったのは、経営環境を「複雑性」と環境変化の「乱気流性」の2つの次元で表現することです。複雑性は、企業がN個の意思決定をする際に影響を受けるKの数値が大きいことを示し、山岳自体が凹凸度が激しい、すなわちでこぼこで険しい山岳地帯である様子を示します。複雑性が小さな環境というのはその逆で、Kの値が小さいために、凹凸度が小さく、山の数も少なく険しさも小さい山岳地帯ということになります。しかし、いずれにせよ、企業が活動する山岳地帯は静止しているわけではありません。山岳地帯自体が変化し、山がぐにゃぐにゃと変化するのが、環境変化です。つまり、環境が変われば、パフォーマンスの条件も変わり、パフォーマンスを示す山の位置や山の高さも変わるということなのです。乱気流性が高い状況とは、この変化スピードが速く、山岳自体が大きく変化し続けるような環境で、乱気流性が低い状況とは、山岳自体の変化が緩やかで比較的安定している状態を示します。


Uotiliaのように環境を2次元で分類すれば、4つの異なる経営環境のプロトタイプができます。これを用いて、両利きの経営モデルと断続平衡モデルを比較したわけですが、コンピュータ・シミュレーションの結果はどうなったのでしょうか。以下のような発見が得られました。まず、複雑性も乱気流性も低いような比較的安定した環境と、複雑性も乱気流性も高い目まぐるしい環境では、両利きの経営のほうが求められ、複雑性か乱気流性の「どちらか」が高い環境では、断続平衡モデルのほうが求められるということが分かりました。なお、Uotiliaは、安定した環境における両利きの経営を「安定型両利き経営」と呼び、目まぐるしい環境における両利きの経営を「ダイナミック両利き経営」として区別しています。また、複雑性のみが高い環境での断続平衡モデルを「構造的断続平衡モデル」と呼び、乱気流性のみが高い環境での断続平衡モデルを「キャッチアップ型断続平衡モデル」と呼んで区別しています。


ではなぜ上記のような結果が得られたのでしょうか。考えられる解釈は以下の通りです。まず、安定した環境下では、企業は深掘り活動を通じて、一番高い山ではないにせよ、山岳地帯の山の頂上にたどり着くことができます。しかも、凹凸が激しく険しい山々ではないので、比較的高い山を見つけることができるでしょう。しかし、環境がまったく静止しているわけではなく、ゆっくりと変化しているので、企業としては余裕をもった形で探索活動を同時に行い新たな事業機会の探索などをしつつ、よい事業機会が見つかれば適宜そちらに進出していくような経営が可能になります。つまり、深掘りと探索を同時に進めても無理なくある程度安定した経営が実現するというわけです。断続平衡モデルのような不連続な変化は、安定した経営環境ではむしろタイミングが難しいといえましょう。しかし、環境の複雑性が高いということは、パフォーマンスの山岳違いの凹凸が激しく険しいので、探索活動にはリスクが伴います。よって、環境変化はそれほど速くないことを考慮し、普段は深掘り活動を中心にして安定した経営を図り、徐々に変化していく環境に適応するために、タイミングを見計らって大胆にリスクをとって探索活動を行って高い山を見つけに行き、それに応じて企業変革を断行するという行動パターンに落ち着くのだろうとUotiliaは解釈します。


環境の乱気流性のみが高い場合は、山岳自体は比較的緩やかで山の数も少ないのですが、それらの山々がぐにゃぐにゃと高速に変化します。よって、企業としては、深掘りによる改善活動をしていても激しい変化が起こった場合に、すぐに山の頂上から落ちそうになってしまいます。よって、通常は、なんとか現在いる山から滑り落ちないように改善活動に力を入れて環境変化にキャッチアップするのですが、だんだんと山岳地帯の形が以前とは異なってきてじっとしていることが不利に働くので、あるタイミングにおいて大胆に探索活動を行って高い山を見つけ出し、その山にジャンプする、すなわち大きな企業変革を実施するというのが最適な経営になるのだろうとUotiliaは解釈します。最後に、複雑性も乱気流性も高い目まぐるしい環境では、深掘りと探索のどちらか一方では複雑性と環境変化の両方に対応できないので、とにかく深掘りと探索を同時に行い、常にイノベーションを変革を繰り返すことでダイナミックに環境に適応していこうというスタイルが最適になるのだろうとUotiliaは解釈しました。


Uotiliaの研究結果が示すのは、時代の脚光を浴びているからといって、猫も杓子も「両利きの経営」を目指せばよいというわけではないだろうということです。たしかに、IT業界のように複雑性も乱気流性も高く、主要なプレイヤーも目まぐるしく変わるような、変化の激しい業界であれば、両利きの経営が求められることが示されたわけですが、そうでない業界もあるでしょう。その際には、両利きの経営よりも、通常は既存事業の深掘りを中心としつつ、必要なタイミングにおいて機動的に探索活動ができるような体制づくりといったような「断続平衡モデル」に基づいた経営を行う方が得策かもしれないということです。まずは、自社の置かれた経営環境を的確に認識することが大事だといえましょう。

参考文献

Uotila, J. (2018). Punctuated equilibrium or ambidexterity: Dynamics of incremental and radical organizational change over time. Industrial and Corporate Change, 27(1), 131-148.